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【読書感想】愛するということ/エーリッヒ・フロム

私にとって大切な考え方を与えてくれた本。

愛するということ/エーリッヒ・フロムを読む。タイトルの印象とは違い、人間、社会の構造について書かれた本。いろいろと考えさせられた。

この本は、まずすべての人間の活動は孤独からの回避だとしている。また、人は孤独を感じると罪悪感と恥の感情にとらわれるとしている。罪悪感や恥だと思うことは、孤独を感じていることで、人は一番回避したいことともいえそう。そう考える腑に落ちる。

この本では、愛することは自分から能動的にすることで、それは技術でありその習得には他の技術と同じで習練が必要としている。

愛する技術とは具体的に、相手をひとりの人として「尊敬」し、その成長に「責任」を持つこと、そのためには「相手をより深く理解」し、「気を配る」こととしている。これらの能力は習練からしか身につけることができず、自分の感情とは関係ないとしている。

この本では、孤独を回避する方法として4つの事がしめされている。一つ目は「お祭り」。お祭りは、一時的ではあるもののまわりの人との一体感を得る事ができる。しかし、一時的でしかない。本ではこの回避方法は一番原始的だとしている。

孤独の回避方法の二つ目は「同調」。自分をなくし、まわりに同調することで孤独を回避する。この方法は、孤独が回避できても、個人の自由、能動性が失われる。孤独からは回避できても、なぜ生きているのかということになる。

孤独の回避方法の三つ目は「クリエイティブ」。自分の作り出すモノと同一化し、孤独を回避する。自分でモノを作るので、能動的で自由。でも、同一化しているのは人ではない。その意味では、擬似的な体験による回避であり、本当の意味では回避できない。

そして、孤独の回避する方法の4つ目が「愛」による人との同一化。誰かと同一化することで、孤独は完全に回避できる。でも、人を愛することは技術が必要で、その習得のためには習練が必要。つまり、結構大変。

愛することは技術だと私も思う。ひとを尊敬し、理解した上で、責任を持ち、気を配る。この一連の活動を身につけるためには、習練が必要だというのはよくわかる。相手が好きだから、自分の子供だからできることではない。

修練を積み、人を愛することを身につけない限り、孤独は癒せないというこの本の主張は正しすぎて、しんどい反面、習練を積むことで、孤独を回避できるという希望もある。あたりまえのことを真面目にとりくんでいる印象の本でした。

2013.04.13 の記事を転載

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