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論文記録10 南出みゆき「アカデミー・ジュリアンから伝播されたフランス美術教育:ローランスに師事した中村不折の場合を例に」
おはようございます☀ついに10本目達成。このまま続けるぞ。
今朝の論文は、南出みゆきさんの「アカデミー・ジュリアンから伝播されたフランス美術教育:ローランスに師事した中村不折の場合を例に」(『美学芸術学論集(神戸大学)』6号、2010年3月)です。レポジトリでPDFダウンロードできます。
目次構成:
はじめに
1節 アカデミー・ジュリアンが広げた伝統的な美術教育制度の裾野
民間経営による美術学校の登場までの前史
アカデミー・ジュリアンが打ち出した新機軸
アカデミー・ジュリアンの中立性
アカデミー・ジュリアンの国際性
2節 ジャン=ポール・ローランスによる学生の個性を重視する指導法
日本人とアカデミー・ジュリアンの関わり
ローランスのもとで不折が学んだ人体デッサンと日本人としての表現
結びにかえて
高階秀爾先生のアカデミー・ジュリアンの論文をさらに詳細にして、中村不折の例を加えた内容でした。
アカデミー・ジュリアンの機能は、国立美術学校受験生にとっての予備校であり、女性や外国人にとっては国立美術学校の代替教育機関であり、一般人には美術のカルチャー・スクールだった模様です。
ローランスの教育方法が、画一的にやり方を強制するのではなく、学生の個性などを重視する教育法だったというのは、日本の当時の画学教育なんかに比べると進んでいたのかな、と思ったりしました。
それを踏まえて、中村不折も自分なりに「日本人tpしての自分にできる表現や行い」を考えて、帰国後に追及していったという指摘は面白いと思いました。
さあ、今日も元気に行ってきまーす!
28分
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