『近代京都日本画史』制作秘話②
こんばんは。今日も、『近代京都日本画史』の制作秘話をお話しします。
この本は、私と中野さん、藤本さん、森さんの4人で作りました。何度も4人で集まっては構成を相談したりしました。途中で中野さんが文化庁に移って東京に行ってしまったし、藤本さんは基本的に和歌山にいるので、主にメールのやり取りで相談しつつ、時々集まっては議論を交わしました。
場所は、ある時は某大学の会議室、またある時はネットで見つけた貸し会議スペースという感じでした。
貸し会議スペースといってもマンションの一室?みたいなところで、行ったら管理人みたいな人がいたので、「こんにちは~」と声を掛けたら、「…中国の方ですか?」と言われたりしました😆 私の日本語がたどたどしかったのでしょうか。。。🤣
それはさておき、私が作った構成のたたき台を皆に修正してもらい、書きたいコラム、入れるべきコラムなど、肉付けしていきます。私がたたき台を作る際に、もっとも参考にしたのは、神崎憲一の『京都に於ける日本画史』です。
でも、ページ数の都合で消えていった画家もいました。登内微笑さんとか。
ページ数の都合で川村曼舟を削るかどうするか、という議論があった時、ここで消したら川村曼舟さんが美術史から消えちゃうんじゃないか、消すわけにはいかない、という使命感が皆の中に芽生え、残すことになりました。消すわけにはいかない画家です。
そんなこんなで、やがて慣れないzoom会議なんかもしたりして、相談を続け、出来上がったのでした。
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