自分だけが面白い話

笑ってはいけない、あるいは笑うような空気ではないという状況の時ほど、笑いは込み上げてくるものである。

松本人志が編み出したあの名企画にもある通り、この状況には誰しも苦しめられた経験があるのではないか。

ぼく自身、基本的には日常生活の中で腹を抱えて大笑いするようなことは少ない方なのだが、自分でも理解し得ないところにツボがあり、周りが誰も笑ってないのに急に面白くなってしまい、それを堪えるのに悶え苦しむということがたまに起こる。

その一つの例として、ぼくが小学生の頃通っていたテニス教室での出来事が挙げられる。

そこではぼく含めて4~5人の生徒が一人のコーチに習うといった形で、前半は普通に練習、後半はゲーム形式の実戦練習というのが主な流れであった。

その後半のゲーム形式の実戦練習の際、コートのそばに置いてあるホワイトボードに自分の名前を書き、その後コーチが対戦相手を決める。

その生徒の中にぼくより1学年上の女の子がいたのだが、どうやらK-POPが好きだったのだろう、彼女は毎回、ホワイトボードにハングル文字で自分の名前を書いていた。

いつもハングル。とにかくハングル。いつもコーチから日本語で書け、と言われていたが、お構いなしにずっとハングル。もしかしてこの人は学校のテストでもハングルなのでは…と思うほど常にハングルを使用し続けていた。そんな彼女の執拗な拘りを見てコーチもついに諦めたか、ハングルについては突っ込まなくなった。

だがある日のゲーム形式の対戦相手を決める際、コーチがその日も相変わらずハングルで書かれてあった彼女の名前を見るなり急に「じゃあ○○とアニョハセヨ対戦ね」と、ふざけて言った。

この瞬間から、彼女をアニョハセヨと呼ぶようになった。

そのコーチが唯一知っていた韓国語がアニョハセヨだったのだろうか。というかいくら韓国語が分からなくてもハングルってだけでアニョハセヨってちょっと安直すぎないか。

何よりも、本来挨拶の言葉なのに呼び名としてアニョハセヨを使っているのがぼくのツボにハマってしまった。

じゃあ○○とアニョハセヨ対戦ね、の○○にぼくの名前が入った時は、余計に笑いを堪えるのに必死である。

ぼくはこれからアニョハセヨと対戦するのだ。いやアニョハセヨと対戦って何。
ぼくvsこんにちは。意味不明過ぎる。
何の対決なんだこれ。

こんなことを考えて笑いそうになったのだが、不思議なことに他の生徒には全く刺さっていなかった。薄ら笑い程度。

当のアニョハセヨ自身も、「違いますよぉ〜、これ名前ですからっ」と微笑み程度で軽ーく返している。

本人含め他の生徒たちがあまり笑っていないというこの状況下、ぼくだけが一人バカ笑いするわけにもいかない。この空間に、ぼくほどアニョハセヨが面白く感じている人がいないのだ。これはとてもキツい。このぼくだけが必死に笑うことに耐えている状況も、より面白さを加速させる。

なぜこんなに苦しい思いをしなくてはならないのか。面白いのに笑える空気じゃない。ただ笑いたいだけなのに。笑えない。けど面白い。アニョハセヨて。笑いたい。心の底から大笑いしたい。けどできない。ツラい。

そこからはひたすらアニョハセヨに耐える日々であった。年月が経ったいま、なぜそこまで面白いと思ったのかはよく分からないのだが、当時のぼくには間違いなく堪らないワードであった。このように自分でも分からないツボに苦しめられることがたまにあるので、その時にはとても辛い思いをすることとなるのである。


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