私が見下してしまう人間たちの話

人を見下すことは褒められたことではない。
私から見たらどれだけ愚かであっても、本人にとっては価値があるかもしれない。それをわかっていても見下してしまう人たちがいる。

「〇〇するために必要なたった一つの方法」のような文言。
「幸せになるため」「ビジネスで成功するため」「モテるため」他にもいろんな言葉が入る。これに飛びつく人のことを、私は見下している。
幸せになるために必要な要素が一つだけなわけがないだろう。ビジネスだってモテだって、たった一つの要素で人生が変わるなら、誰もが人生の勝者になっている。

この手の文言に飛びつく人は、自分で考えるのが苦手な人だ。だから、わかりやすくシンプルなメソッドに飛びつく。
胡散臭い文章を読むくらいなら、他の誰でもない自分の幸せには何が必要かを真剣に考えろと言いたくなる。当たり前だが、私が幸せになるために必要なことは、私にだけ適用されるので再現性がない。
ブッダもイエスもヤハウェも人を幸せにするために考え続けた。だが、その記事を書いている人は、ブッダやイエス以上に人類のことを考えているのか。

経営などのことはよくわからないが、世の中の仕事の業種や地域性によっても、成功の別れ道は変わってくるだろう。全ての業種の全ての経営者に適用されるたった一つの方法など、あるわけがない。
あるわけがないから、この手の胡散臭い人たちは、中身のない尤もらしく聞こえる屁理屈を並べているだけだ。
そんなものに縋るから、幸せになれないし、経営がうまくいかないし、モテないのだ。自分の頭と手と足を使って試行錯誤することが、一番の近道なのだが、それは面倒なのでしたくないのだろう。

幸せで満ち足りている人、経営がうまくいった経営者、たくさんの人にモテている人。
彼らは間違いなく「〇〇するために必要なたった一つの方法」のような、胡散臭い文章など読んでいないと思う。そんなものを参考にせずに、目的を達成しただろう。試しに聞いてみたいものだ。
ちなみに私は今現在幸せだが、その手のモノを読んだことはあるが、参考になると思ったことは一度もない。

それから、ダイエットに失敗し続ける人。
私は高校生の時から常にダイエットをしている。痩せるためではなく、太らないためだ。
私から見たら、ダイエットに失敗している人は、やる前から失敗している。どう考えても続かない方法を選んでいるのだ。
ダイエットに必要なのは、継続させることだ。一時的に目標を達成しても、元の生活習慣に戻せば必ずリバウンドをする。それくらいわかるはずだ。

まず、最初にやることは「一生継続できること」を探す。私の場合、自宅から駅に行く時「なるべく」歩く、だった。必ず歩くと決めると、途中で嫌になる。だから、なるべく、だ。
この駅を利用する時は階段を使う、でもいい。仕事が定時で終わった日だけは白米を減らす、でもいい。この状態が一生続いても大丈夫そうだと思うことから始める。

それで効果あるの?と言われるが、ダイエットは一生続く。続かずに辞める方が効果がない。
当然、少しずつ「これならできそうだ」を増やして行くのだ。少しやってみて無理そうなら別の方法を検討する。とにかく、どの方法なら自分が続けられるかを見極めるのだ。
突然炭水化物を抜いたり、1時間のジョギングを継続できる人は、そもそも太らない。

つまり私は、自分を見極めずに簡単に見える方法に飛びつく人を見下しているのだ。
人を見下すようになったら終わりだと言う人もいるだろうが、手を変え品を変えあらゆる簡単そうな方法に飛び付いては必ず失敗している人を見上げる必要もない。
相手に伝わらないように気持ちを隠せばいいだけの話だ。

うまく隠せば、それでOKだ。

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