【INTJ】逃げてもいいよっていう大嘘に耳を傾けてはいけないって話

新年度が始まり、新一年生、新入社員の人は緊張と期待と不安の4月だと思う。人見知りの私も、毎年緊張しながら新年度を迎える。なんなら新入社員より顔が引き攣っている。

よくは世間では、「辛いなら逃げてもいいよ」と言う。この言葉に、騙されてはいけない。
「逃げてもいいよ」と言う他人は、信じてはいけない。最後の最後まで見届けてくれる、家族や親友、恋人以外から発せられるこの言葉には、耳を塞いだ方がいい。

もちろん、私は辛い中でも頑張れと言いたいわけではない。辛くてたまらないなら、会社なんて今すぐ辞めればいい。楽しく働ける職場は探せば見つかるものだ。
私が言いたいのは、逃げるしかない状況に追い込まれる前にやることがある、という話だ。心身共にフットワークが軽い人なら可能かもしれないが、真面目な人ほど自分を追い詰めて、逃げ切れるかどうかという状況にハマってしまう。
戦える余力が十分に残っているなら戦えばいい。頑張ればいい。だが、辛いと思っている人は戦う余裕などないと思う。戦う余裕がないから、逃げるしかなくなる。

辛くなる前に、余力がなくなる前に、まず戦い方と一緒に守り方を考えておいた方がいい。
もしあなたが、軍の司令官なら、兵を全員出撃などさせないだろう。本拠地がガラ空きになり、敵に奪われるからだ。当然、戦う前に、本拠地を守る守備隊や補給部隊も確保するだろう。補給物資も確保するだろう。それと同じだ。

戦う前に、守る準備をしておくのだ。守備隊や補給部隊がきちんと機能している人は、メンタルが強い。長く戦いを続けられる人は、逃げ道の確保や自分の心や体への補給をおざなりにしないのだ。
人によって守備隊や補給部隊の内容は変わる。私にとっては、一人になれる場所と時間の確保と趣味の充実、そしていざとなれば数年は生きていける資金の確保だ。自分を守る鉄壁の要塞を持つ人は強い。

この守る準備を怠ると、いざ逃げようとした時、非常に困る。貯金がない、住む家がない、転職先がない、辞めるに辞められない。そして、自分がどんどん追い込まれていく。
パワハラやイジメ、過労などで心身弱り切っている時は、正常な判断力を失う。だから判断力が正常な間に、自分がいつでも帰れる本拠地と、防衛戦ができる程度の余力を残さなければいけない。
家族関係がうまくいってるから実家に戻ればいいと思ったところで、兄弟が結婚して同居を始めたり、親が退職して経済的に余裕がないことはよくある。

社会人にとっての防衛戦は、退職した後の会社との保険関係のやりとりや、転職活動、当面の資金の確保、親や家族への事情の説明、役所などの手続きなどがある。場合によっては、転居等もある。これらは正直、メンタルが健康であっても面倒でしかない。心身弱り切った時にすると、残りわずかなメンタルがさらに削られる。

「逃げてもいいよ」と簡単に言う人は、逃げた後のことまで責任を持ってはくれないのだ。だから、健康な内に、余力が残ってる内に、弱った自分へ置き土産を作っておく。それは、本人にしかできないことだ。
逃げた後でも、戦いは残っているのだ。残務整理や各種手続きだけでなく、生活はずっと続くのだ。逃げたところで、生活は待ってくれないのだ。

そして何より、「逃げる」という言葉はセンスがない。パワハラ、イジメ、過労、それらはまともに戦うような相手ではない。まともに相手にしようとするのは愚かなことだ。土に灸だ。まるっきり無駄だ。
相手にならない相手の相手をしないことは逃げることではない。ただの撤退だ。戦略的撤退だ。
人生の最後に笑顔で逝ける人が、人生の勝者だ。そうなるための戦略的選択だ。逃げでもなんでもない。

と、いうわけで、この記事のまとめ
・戦う前に戦う準備と守る準備を両方しろ
・守備隊と補給部隊を確保しろ
・まともな戦いにならないと思ったら余力を持った状態で防衛戦と撤退戦に挑め

これで、自分の人生へ責任を持ったまま、逃げずに済む。逃げてもいいよと言う人より、少しは説得力あるのではないかと思う。

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