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僕のときめきが行方不明なんです

おはようござい。アカデミー賞にノミネートされた瞬間、映画館に詰めかけるミーハーな高齢者共を地獄のドライブに送りたいなぁ、という気分で目覚めた朝の4時です。

寝れるけどもういいや。今日は7時から12時までバイト、やる気ないのに遅刻はしない。身も心も飼い慣らされてる。まぁいいか。

幻冬舎の電子書籍セールのページを開く。能町みね子の本が何冊か出てるのでまとめ買い。なんでKindleってワンクリックで注文確定するの?ワンステップ置いてよ。

3冊買って、とりあえず『ときめかない日記』から読む。あれっ、これ漫画じゃん。エッセイだと思ったのに。何度目かの電子書籍の罠に引っかかってしまった。まぁいいや。

なんとも言えねぇ....いい話のような、どうでもいいような。虚無いこの時間だから読めたような、頭冴えてたら逆に読めなさそうな、ぼんやり重い感じ。でも、主人公のめい子が出会い系サイトで知り合った、ハゲかけたオッサン(はぎさん)に 「会いたかったよー!」「嬉しいよー!」と抱きしめられるシーンは良かった。抱きしめられて全肯定されたらそりゃ誰だってときめきますわ。

大体「ときめき」って何でしょう。お片付けの話ではないよ。恋をすると肌が綺麗になったり、髪質が良くなったり、痩せたりする。推しのために自分を磨く人がいる。それってつまり”ときめきPOWER(ダサ!)”。ときめくから人生は明るくなるんじゃないかしら。急にどうしたのかしら。

一方、日常生活でときめくことがあまりない人もいて、私なんかまさにそうで。これは友達とも話すことだけど、昔から「推し」みたいな存在がない。第一、好きな女子のタイプもよく分からないし、かと言って男が好きな訳でもないし。振り返ってみると、そういう「ときめき」が恥ずかしいというか、表に出しちゃいけないみたいな罪悪感を抱いて生きてきた気もする。常々自分はつまらない人間だなとは思うけど、それってつまり「ときめき」が足りてないからじゃないかしら。でも「推しが命」とか言うのって、性欲のままに生きちゃってる感じが気持ち悪くてなんか嫌なんだよなぁ、まとまんねえや。

〈おしまい〉

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