安楽椅子探偵

灰色の煙が、ゆるゆると会議室の天井を漂っている。特段不愉快さを感じるわけではなかったが、右手をパタパタと仰いで煙を払ってみせた。その芝居じみた仕草で、会議室の人間の厳しい視線は一気に私に集まった。

「おい、アンタ。どうやって入ってきた?」

こんがりと日焼けした色黒の男が、半分ほど残っている煙草を口から離して問いかけてきた。いかにも証拠は足で稼いでくる刑事のように見える。

「殺人事件とは珍しいですね。捜査本部が立つのも久しぶりじゃないでしょうか」

私は、日焼け男の質問を無視して世間話を振ってみた。そこにいる刑事たちの視線はますます厳しくなった。

「あなたには関係の無い話です」

その空気を察したのか、銀縁メガネにグレースーツをきっちり着込んだ男が冷淡なトーンで答えた。どうやらこの会議の中心人物で、いかにもインテリ…というと死語であるが、そのように見える。今にも私に殴りかかってきそうな腕まくりをした刑事たちと比べると、そのスーツ姿は少し浮いている。

「いえいえ、関係のある話です。この事件を殺人と断定したのは上層部ですよね?その上層部の方から依頼を受けた探偵が私なのですよ。ほら」

一枚の紙を取り出し、刑事たちに突きつける。一瞬で事態を読み取った刑事たちは、困ったような表情でお互いの顔を見合わせている。

「この事件について、単なる事故または自殺だとあなたたちは考えていますね?」

単刀直入に本題へと入る。何人かの息を飲む音が聞こえる。

「はい。上層部から通達があるまでは、ドラッグの過剰摂取による事故と考えていました」

銀縁メガネの男が、先ほどと打って変わって温和な口調で答える。まさに権力の縦社会で生きる男だ。今も昔も変わらない。

「被害者が死ぬ直前の音声記録が残っていましたよね」

話をどんどん先に進める。何人かの刑事はポカンとした表情で私を見ている。

「えーっと、コレですね。再生します!」

刑事たちの中でも一番若くて軽率そうな見た目の男が、音声記録の再生を始めた。勝手に話を進められたのが気に入らないのか、日焼け男が軽く舌打ちをした。

"ロープが…ロープが首に、なんだコレ!ロープが、はっ…"

実際に聞いてみると、ほんの数秒の音声記録。ロープが首に…たったそれだけの情報である。

「どう聞いても、ドラッグの幻覚症状で錯乱してるだけだと思うんだがな。首を絞めて殺されたわけでもないんだから」

イラついたように日焼け男が口を挟んだ。私の前にツカツカと歩み寄ってくる。

「しかし、首元に刺し傷があったんですよね?」

どうせ痛くも痒くも無いので、日焼け男の圧に臆することなく私は確認を続ける。

「針で刺したような傷の話か?ありゃ、ドラッグを注射するときにできる傷跡だろう」

日焼け男は、自分の首を指すジェスチャーをしながら答えた。日焼け男の不遜な態度に銀縁メガネが少し慌てている。

「それでは、3点アドバイスしましょう」

人差し指をピッと立てて、私は言い放った。事前に見た報告書の内容と一致している。あとは、アドバイスだけだ。

「1点目、まだらの紐です」

「まだらの…紐…?」

「どうやら、あなたたちはワードのチョイスが悪いようです。今のワードで過去の文献を検索してみてください」

目を丸くする刑事たちを尻目にして、私はアドバイスを続ける。

「2点目、隣人トラブルが無かったか確認してください」

「あ、それなら、被害者の騒音が酷かったと近所の人から複数の証言を得ています!」

私のアドバイスに対し、若い刑事が嬉々として答えた。直後、余計なことを言うなと日焼け男に頭をどつかれていた。

「よろしい。最後に3点目、被害者の隣人を訪ねる際はヘビに注意してください」

「ヘビって、あの、ニョロニョロした…?」

「そうです。ヘビ型が正確かもしれませんが」

「は、はあ…」

「それでは、私はこれで失礼します」

そう言って、私はくるりと彼らに背を向けた。私の仕事は終わり、あとは彼らが解決してくれるだろう。

銀縁メガネがゴマ擦りのためにこちらへ歩み寄ってくるのを無視し、私はすぐさま会議室から消失した。

・・・

「ふぅ…」

少し額の汗で湿ってしまったヘッドマウントディスプレイを外す。今やメガネ型やコンタクトレンズ型のデバイスも発売されているが、慣れ親しんだデバイスが一番だ。

そういう意味では、刑事たちが使っているいかにも刑事じみたアバターを馬鹿にすることはできないのかもしれない。こだわりは誰にでもある。

ずっと座り続けていたふかふかの安楽椅子で、身体を少しよじる。物理的に移動したわけではないのに疲れてしまった。老いぼれにはツラい仕事だ。

・・・・・

この探偵という仕事は、先月から始まった。
今や警視総監となった同級生の180歳の誕生日パーティーの最中のことだった。

「シャーロック・ホームズの事件を模倣した殺人事件が数件発生している」

パーティーの賑わいを離れ、会場外の待機場で休憩していた私に対し、同級生は唐突に告げた。

シャーロック・ホームズと言えば、数世紀前の探偵小説だ。その名前や探偵というキャラクターを知っていても、彼が文学作品の中で解決した事件の内容を細かに知るものは少なくなってきた。

膨大な情報を提供するインターネットも、情報が溢れすぎた結果、欲しい情報を検索することが難しい。そして、小説という媒体も今の若者にとっては古文に等しい。

「殺人事件の発生場所は様々だが、上がってくる報告書を見ればピンと来る。これは大昔の作品の模倣犯だと。ただ、警視総監という立場上、末端の現場の捜査に口を挟むことは難しい」

同級生は、熱のこもった口調で続ける。

「アンドロイドやアバターを損壊させる事件は日常茶飯事だが、このご時世に殺人事件が連続して発生することは珍しい。そして、お前のような熱心なホームズファンがいずれ模倣犯の存在に気付いてしまう。世間が騒ぎ出す前に、お前は探偵として現場に助言を与え、この事実に気付かせてやって欲しい」

「私には、電子図書館の館長の仕事があるんですが…」

頬をぽりぽりとかきながら、私は言った。ところが、同級生は私の事情などお構いなしである。この強引さは昔から変わっていない。

「報酬はもちろん考えてある。きっと気に入ってくれるはずだ」

・・・・・

紙の本の山を見て、私は同級生との会話を思い出す。報酬として届けられた本は、どれも保存状態が良く貴重なものばかり。どの本から手を付けようか、正直うずうずしていた。

とりあえず、一番上の本を手に取り、ついでに煙草を一本用意して火を付けた。安楽椅子に沈み込み、煙草を器用に吸いながらページをめくる。

ふぅと煙を吐き出して、先ほどの会議室の情景を思い出す。彼らのアバターは煙草をスパスパ吸っていたが、現実(リアル)の彼らは煙草を吸ったことがあるのだろうか。

4点目のアドバイスをするならば、煙草は現実(リアル)の方が味わい深いことを教えたい。

END

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