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慣れない悲しみーペットとのお別れ

ニューヨークから連れてきたチッチが今朝 虹の橋へと旅立った。

お茶目でいたずら、くるくるっと回る寄り目と「んあ???」とした首の傾げ方、憎めないいたずら女子が今日 虹の橋へと旅立った。まだ12才、2週間という飼い主にしては短すぎる闘病生活、

「いい子だね」

「かわいいね」

「一緒に居てくれて ありがとね」

酸素室の中、もうろうとする意識の中で、うん、うん、うんとでもするかのように、その度にちっちはまぶたをパチン パチンとして 伝えてくれた。ガラス越しに手をかざし、想いを込めてチッチに呼びかけた。何度も何度も、、2年間という歳月をかけて、リンパ腫はひっそりとチッチの胃腸を蝕んで行っていたのだ。

前の猫はニューヨークの保護施設出身だった。その子が逝ってしまった時に保護施設の女性に、泣きながら報告をしにいった。

「もう心に穴があいちゃって、半身をもがれたみたいで、落ち着いたら 一時預かりでもしようかな。と思ってるけど」

という私に彼女は

「あら ちょうどいいわ、今日 行き場所がない子がいるのよ。預かってくれないかしら?困ってたところだったの」

なぜか 帰りのバスの中の私の膝の上にはダンボール素材でできたキャリーケースが乗っかっていた。前の席の白人のおばさんがクスクスと笑っている。

「Hand, hand 」

「??」

ふと見ると キャリーケースに開いた丸い穴から ソックスを履いたちっこい肉球がチョイチョイと顔を出し入れしているではないか!? バスの回りの乗客がそれを見てクスクスと笑いだした。アメリカ人の中で 優しい笑いに包まれて、ペットロスから久しぶりに心からの笑いが出た。

帰路に着き、キャリーから顔を出したのは 前の子と同じ澄んだエメラルドグリーンの瞳と縞柄、違っていたのはチッチの方が 灰色の縞に茶色が多く入っていることくらい。むむむ、謀られた!これは 譲渡パターンだなぁと脳裏を横切る。

しかし、性格は180度正反対、落ち着いてボスの風格、賢さはちょっとした人間に近い知能のを持っていた前猫とは違い、箸の先の食べ物を狙って口を開けながらダイブしてくる、ジーパンを一気によじ登り流血、顔目掛けて爪引っ掻きジャンプでタックルしてくる。「チッチーっ!!!!!」と怒声を飛ばす日々にいつしかペットロスの痛みは薄らいで行っていることに気づいた。

そんなチッチは実はビビリの臆病者で些細な物音にも飛び上がる。チッチの朝の日課は化粧台の前の私の膝の上、化粧するひとときの時間を膝の上でモミモミ、ゴロゴロしながら過ごすチッチの至福の時間だ。そんな緩みきった時間に突然 宅配屋さんが!!後ろ足で思いっきり蹴った先は私の眉毛下! 瞼が真っ青に腫れ上がり、仕方がないから反対側の瞼にも真っ青のシャドウを塗り、ニューヨークの街を闊歩したこともあった。なにせ、ほら 寄り目だから憎めない。

チッチが 7ヶ月の検疫を終え、飛行機で(一便に6キロ以下の1匹だけ、米航空会社で機内持込で猫を持ってこれる)やってきたのは3.11の 震災が起こった後の夏だった。怖がりのチッチはまるで 黙っていれば気づかないとでもあるかのように、身を縮め肉球にびっしりの汗をかいていた。

ドキドキの来日から9年の歳月、毎朝の日課のの化粧台前の膝の上。今こうして iPad を叩いているのも化粧台前、いつもなら 虎視眈々とジャンプするタイミングを見計らって、寄り目をくるっくるっさせて足元いるはずのチッチが なぜ いないのだろう?

背後の部屋には 明日 火葬に連れていくチッチの冷たい身体をいつもの大好きなフリースに囲み いつもの椅子の上に置いてある。何匹も見送ったはずなのに、わずか数時間前に瞼で頷いてくれた子のお線香を今 自分が灯しているのかが よくわからない。

「チッチ 大好きだよ」と冷たくなった後頭部にキスをして

「チッチ チッチ」と語りかける

きっと 私は毎朝化粧台の前で泣くだろう

ちっちが最後に食べたものは ファミチキ。 今まであげたことはなかったのだけれど、どうにか食欲をそそってもらおうと亡くなる前の日に お見舞いに行った時に目の前でファミチキを開けると 奇跡のようにガバッと首を起こしてゴロゴロ ゴロゴロ言って 食べようとするから ようじの先くらい ちょっとだけをあげた。ゴロゴロとガツガツっと小さな破片を食べた。もっと食べたがったのだけれど 腎臓の値が悪いからあげられなかった。

きっと 私は 明日から ファミチキを見る度にあの素敵なゴロゴロ音と、そして死ぬんだったら もっとあげちゃえば良かった、という複雑な想いを思い出し、ファミマで突然 涙する怪しい女になるんだろう。

チッチ 

チッチ


チッチ。。。

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