検証⇒考察の書き方「研究に対して『謙虚であれ』」:序論⇒背景⇒検証⇒考察
前回のnoteでは序論、背景の作りこみを通じて論文の質を上げていくお話をしました。
さて、今回は検証、考察について考えます。
1.論文のタイプによって書き方は変わる
まず、検証、考察ですが、論文の中核ともいえる部分です。
検証⇒論文の問題意識を実証するところ。もしくは検証するところ。
考察⇒検証されたことに基づいて考察するところ。結果から分かる意義などを書くところであり、論文の限界についてもこちらで言及する。
問題は論文のタイプです。
論文には大きく分けて3つのタイプがあります。
①論述:定性的な記述、文献などをまとめて検証、考察を行う
②実証・モデル:集めたサンプルとモデルに基づいた検証で、問題意識を検証し、考察する。モデルにより検証も含まれる。
③ケーススタディ:ケース分析に基づいて、問題意識を検証し、考察する。
申し上げるまでもなく、科学性が強い、つまり再現性が強いのは②になります。もちろん、用いたモデル、サンプルで同じ結果が出るか、ということを再検証することは必要です。また用いたモデルの頑健性を検証するためには、別のサンプル、変数を使ってみる、ということも時に必要かもしれません。
論述はどうでしょうか?
これは科学的な再現性は低く、論文としての価値は低く見られがちな風潮もあります。ただし、論述、つまり既存の研究や文献をまとめてみたことで分かる新しい知見については価値がないわけではないです。
また、論述を丁寧に行うことで、実証分析への橋渡しにもなります。優れたフレームワークを提供してくれるのは、丁寧に論述された文献であることは少なくありません。
論述において重要なのは、論理的一貫性でしょう。論理的に一貫した記述でかつ批判的な視点で見れているかどうかを慎重に書く必要があります。これは検証、モデルの研究においても必要な要素になりますが、反証、つまり記述に対する反対意見に対する丁寧な回答を盛り込むことが必要になります。
自分にとって都合のよい結論を導かないように気を付けなければなりません。過去の文献についても丁寧にサーベイしておくことが求めらることは言うまでもありません。これは、実証、モデル、ケーススタディ研究も同様ですね。
ケーススタディはどうでしょうか?
ケーススタディ研究の意味は二つあるでしょう。一つは特異な事例を取り上げることです。
例えば、日本の製造業においてトヨタ生産方式が事例として良く取り上げられます。
トヨタの生産方式は他社にとっても学ぶ点が多く、それを理論化して、他の人も真似ることの重要性、価値が高いため、ケースとして取り上げられるわけです。
その他の事例としてはGAFAなどもそうでしょう。
GAFAを取り上げたところで、他の企業がGAFAになれるわけではありません。ですが、これらの企業がどのようなプロセスで成長したか?という点について学ぶべき点、模倣すべき点があるからこそ、関連する書籍が販売されているともいえますし、ケースとして取り上げる価値があるのだと思います。不正会計のケーススタディは反面教師の位置づけですね。
ケーススタディを行うもう一つの意味は、一般性を確認するため、です。この場合だとその他多くの企業(事例)でも当てはまるであろうケースを取り上げます。「一般的な企業でも当てはまる法則、発見」を見出したのであれば、その他多くの企業でも同じことが当てはまるのではないか?というロジックになります。
ただし、ケーススタディの一般化はかなり危険ですので、その点を考慮した上で取り上げる必要があるでしょう。
2.検証⇒考察の注意点
①から③のいずれの場合においても変わらないのは、検証の結果(論文の貢献点)を明確にして、それに基づいた考察を行わなければならない、ということです。
①の論述の場合だと、検証と考察が一体的に書かれがちです。これはやむを得ない場合もありますが、自分の論文、研究の貢献点を明確にするためには、論述による検証のオリジナリティはどこにあるのか?という点を意識する必要があるでしょう。
論述の研究は、これが大変難しいところです。
お勧めのやり方としては、論述してきたことの流れやこれまでで分かってきたことなどを、図表にしたり、まとめてみたり、することがよいでしょう。
多くの文献読んできた分かったことは、
「本事象は多様であった、ことが分かった」
「色々と分かった」
など、曖昧なことを連発しないように書きましょう。
②実証・モデルの研究では、得られた結論の範囲でどの部分が実証されたかを丁寧に考察し、そこから分かることを研究の限界点も見極めながら書く、ことが求められます。
良くあるのが、限定的な結果しか出ていないのに、大きな結論を言ってしまう事、です。
これは実証あるある、です。
特に数値で出てしまう実証分析は結果を強く強調してしまう傾向にあります。
本当にそこまで言えるのか?
このことを問いながら慎重に検証し、頑健性の検証なども行った上で、考察をまとめるべきでしょう。
これはケーススタディでも言えます。
ケースはケースです。なので、限定的な結論しか言えません。それにも関わらずやはり大きすぎる結論を言いがちです。
いわゆる筆が滑った、状況でしょう。
これも非常にまずい状況です。
ここで取り上げた①から③のタイプは複合的なパターンもあり得ます。
つまり、実証・モデルの検証も行っているけど、ケースも入れていたり、論述がメインであったりすることもあるでしょう。
いずれの場合においても、論文の序章、研究背景に戻ってチェックしてみましょう。
本論文は何をする目的で行っているのか?どんな問題意識で書いていたのか?背景は何であったのか?
こうしたことを今一度振り返ってみてください。
そうすると、「あ!最初のこと忘れていた」「研究背景の内容を踏まえていなかった!」「都合よい結論を出すために最初の目的をなかったことにしていた!」ということに気づきます。
言うまでもないですが、検証、考察の結果に合せて、ある程度、論文の内容を整えることは必要ですが、大幅に書き換えることは、論文全体の整合性が失われることになるので、NGです。
気を付けましょう。
また論文の目的を達成しているかに見せるために、都合の良い解釈をした記述をするのもまた危険です。
これもやりがちですが、読む人がみたら気づきます。
そこまではいえない!
ということに。
最後は論述力が試されますね。
矛盾のないように、論理的な整合性を保ち、そして、検証出来た範囲で考察を行い、最後論文を〆ていく。
必要なことは、
研究の検証結果に対して『謙虚であれ』
ということかもしれません。
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