見出し画像

モデルに依拠した時価情報が抱えるジレンマ

会計情報においても恣意性が高い、裁量が大きい情報がいくつかあります。

例えば、非上場の株式(有価証券)については、一定のモデルを用いて見積もることになります。

株式、有価証券においては市場で取引されている価格で見積もるのが一番推奨されるやり方です。

例えば、株が一株100円なら帳簿上、100円と評価されて、その価格が貸借対照表上に計上されます。

これが値下がりして、価格が80円になれば、20円の評価損が計上されます。

このように市場の値動きで評価(測定)できるものは大きな問題にはなりません。

もちろん、売買していないののその価格を貸借対照表や損益計算書に反映させることの是非はまた別途議論しなければならない問題でしょう。

ですが、これは損益の計上に関する問題であり、測定の問題ではありませんので、時価の測定に関する問題に絞って考えてみたいと思います。

現代の企業会計においては、市場価格のない資産・負債についても積極的に時価(公正価値)で測定されることが求められる傾向にあります。

市場価格のない資産・負債については一定のモデルを用いて測定を行うことになります。インプット情報を含めて、なるべく検証可能な数値を用いることが望ましいとされますが、恣意的な数値になることは避けられません。

測定の問題について考えると、裁量の余地が高いと読み手としては以下のことが不安になるでしょう。

(1)その値が確かかどうか確かめられない

(2)なので、経営者が恣意的に価格を操作しているのではないかと疑惑を抱く

では、逆に裁量の余地が高いからと言って市場性のない資産・負債を測定しないのは以下の不安が読み手としては生じることになります。

(1)取得原価のままの評価では、含み損益(時価ー取得原価)が分からない。

(2)なので、保有していること資産・負債に多額の含み損益を抱えているのではないかと不安になる。

情報の読み手としての立場を考えると保有している資産・負債についての情報は、取得原価ではなくて時価の方がリッチ(豊富)な情報であることは間違いがないでしょう。

それが正しいものかどうか・・・を確かめることができればという条件つきではありますが。

となると、保有している資産・負債について、裁量の余地が高くても測定を求める方が合理的、となる訳です。

ただし!

裁量の余地があると言っても自由に測定できる、というのは好ましいことではなく、その裁量の余地をできる限り狭くして、経営者の操作性の余地を小さくすることも望まれます。

さらにそのプロセス、測定の過程も開示することを求めることで、一定の検証可能性も担保する、ということが望ましいと言えるでしょう。

問題は、モデルに依拠した測定では読み手に追加的なコストが発生することが避けられない、ということです。市場価格から参照して求めた数値はシンプルにその値を示すことができます。ですが、モデルに依拠した測定では、数値の算定過程も含めて、読み手はチェックしなければなりませんので、読み手に対する負担が増加することになります。

結果として、モデルに依拠した測定では、財務諸表の数値に対する理解可能性を押し下げしまうことになります。

市場価格のない資産・負債についても時価で評価することが望ましいのですが、やり過ぎると、読み手に求める負担が大きくなり、財務数値が複雑化し、理解可能性が低下する。これは時価(公正価値)の測定から離れられない、現在の企業会計が抱える深刻な問題点と言えるでしょうね。

時価測定そのものがけしからん!

という人もいます。

その主張には一定の理解もしていますが、現代の企業会計において、時計の針を逆回転させて、時価の測定をやめる、という方向にはならないでしょう。

となるといかにして、モデルに依拠した時価情報であっても理解可能性を高めることができるのか?

それに必要なことは何か?

ということを考えることが必要な気がします。

スライド4

となるとやっぱり問題になるのはこの図かな、と思っています。

財務会計論の講義で取り上げた時価の評価モデルの問題です。

時価の評価モデルに対する信頼性と理解可能性を高めながら、より有用な情報を提供していく。

現代の企業会計が解決していかなければならない大きな課題ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?