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間違えを認めさせようとしない:カーネギーを読む②

「間違えを認めさせようとしない」

「相手の自尊心を大事にする」

「相手を立てる」

これはデール・カーネギーの「人を動かす」で繰り返して言われていることです。

次のようにカーネギーはいいます。

いくら議論をして相手に間違いを認めさせようとしても、徒労に終わる。相手は自尊心を傷つけられるから、意固地になって自分の間違いを認めようとしない。相手の間違いを指摘すれば、あなたは自尊心を満たすことができて気分がいいだろう。優越感にひたることもできる。しかし、それは大きな犠牲をともなう。なぜなら、相手は面目を失い、気分を害してしまうからだ。そんなことで相手が喜んで動いてくれると思ってはいけない。たとえその時は協力してくれるように見えたとしても、相手に好意を持ってもらえないから、人望を失うことになる。

正しいかどうか。それはあまり関係ない。

人を動かしたいのであれば、相手を屈服させる、支配させることが無意味であることは確かかもしれません。

もちろん、恐怖で相手をコントロールすることは出来ます。

もしくは力で押さえつけることもできるでしょう。

それで統制することにどれだけの意味があるのでしょうか。

果たしてそれで人は活き活きと働いてくれるでしょうか。

きっとそうではないでしょう。

となると、必要なのは、相手の自尊心、プライドを大事にすることであり、間違があったとしてもそれを無理やり認めさせることではないでしょう。

私も何度かそうした場面に遭遇したこともありますし、私自身もそうしたことをしたことはありますし、されたこともあります。

ですが、その結果もたらされたものは何なのか?

人間関係が壊れる。信頼関係がなくなる。

きっとそうではないでしょうか。

教員の立場では、ついつい相手を統制したくなってしまいます。

間違いを指摘し、それを認めさせたくなる。

もちろん必要なこともあります。ですが、それをするときも相手の気持ちを尊重して行うことが大事。

本当に最近そう感じます。



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