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ヤクザと覚せい剤の関係【『路地の子』を読む】

上原善広さんの『路地の子』を読んだ。路地とは被差別部落のこと。作家の中上健次がそう表現したのに倣っているという。

路地に生まれた主人公、上原龍造。大阪更池のとばで食肉の仕事に関わり、同和利権にも食い込み、自らの食肉店を大きくしていく。

この本自体はすごく示唆に富み、色々と面白いなぁと思う部分が多々あった。個人的に気になったのは、「ヤクザと覚せい剤の関係」だった。


ヤクザ。極道。任侠団体。暴力団。

彼らを表現する言葉はいくつかあるが、犯罪に従事し、暴力を用い、裏社会を蠢く存在として知られる。はみ出しもの、アウトローが集まった集団として描かれがちだが、その内情だったりは嫌気されあまり話題に登ることは少ない。

不良と呼ばれる少年だったりが、自販機荒らしたり銅線盗んだりなどの犯罪行為に手を染めて、地元の先輩後輩などの繋がりからヤクザとなって……そんな印象を抱いていた。

ヤクザが生業とする賭場。夜な夜な賭場を開き、賭け事の胴元になる。不眠不休で賭け続けるのには集中力が必要である。そこで、覚せい剤が使われる。頭がハッキリして寝なくても平気になる。

主人公、龍造の祖母であるトヨノはこう諭していた。

「博打やったらクスリ打つやろ。そしたら体ボロボロになんねんで」
「クスリ打ったら寝んでもいつまでも平気なんや。だから、博打打ちはみんな打ちよる。せやけど、体に無理かけてんのは一緒や。あとで体、ガタガタになる。それにクスリ打つのにも銭いるやろう。だから、博打に一回手ぇ出したら、ずっと『銭々』言いながら死ななアカン」

ギャンブルに興じる人間は、集中にこだわる。パチプロも「出るかどうか」確率の見極めと分析に費やす。自分に引き寄せられる流れや波をどう掴むかみたいなところにすごく時間をかけている。

「相性がいいわけだ……」と腑に落ちた。

一方で、賭場以外に別の文脈で覚せい剤を使うヤクザの描写もあった。破産した家に債権回収に向かうヤクザ。破産しているわけだから簡単には当人に会えないし、会っても払ってもらえるかどうかは分からない。そこで、純度の高いシャブを使う。一週間飲まず食わず、文字通り不眠不休で動ける。破産した家の目の前にどっかり座って待ち続ける。色んな意味で、命を削る行為なのだろうけれど。


閑話休題。

もちろん、賭場を開くのも覚せい剤も違法行為である。闇カジノを開いただけで捕まるし、覚醒剤も所持しているだけで捕まる。現代ではどちらも摘発が厳しい。芸能人が捕まる報道などもあり、その行為自体がもう日常生活からは逸脱したものとみられがち。

そして、暴力団対策法の締め付けで、ヤクザは銀行口座すら開けない状況に陥っている。ヤクザであること自体がもはやタブー視されるような状況であったりもする。

とはいえ、ヤクザと言っても“人”であることは間違いない。誰であっても“人”なのは揺るがないこと。最近そんなふうに思ったりする。

『路地の子』を読んで同和問題だったり、差別だったり、右翼と左翼だったり。ほかにも思うところがあったのでまたまとめます。

HONZの書評も面白い。参考までにどうぞ。

書評【差別、貧困、食肉、利権、金、そして『路地の子』