私の性暴力被害(就学前~高校)

私はFLOWER DEMO@熊本市の発起人、上野海佑(うえのみゆう)です。

熊本市での初めてのフラワーデモは、8月11日(日)に辛島公園で行いました。

最初、FLOWER DEMO@熊本市と上野海佑のアカウントをTwitter やFacebookに作った時、私は一人ぼっちでした。

何日経っても、連帯して下さる方のコメントはつきませんでした。

でも、私は一人スタンディングになっても頑張るという勇気を振り絞ってました。

そしたら、開催日近くになると、私のツイートにコメントがつき、3~4人の参加者さんができました。

当日は、入れ替わりで20人ぐらい連帯して参加して下さる方々がいらして、FLOWER DEMO@熊本市が終了してからも、「遠くから見守ってました」という人が問い合わせに来て下さいました。

どの都市のフラワーデモでも、当事者の「声」を大切にします。

FLOWER DEMO@熊本市は初めての開催でしたし、ゆる~くいきたいと思ってましたので、性暴力被害当事者の私の体験を語りました。

そして、同じく性暴力被害に遭って、その後の人生を狂わされた人のメッセージ(上野海佑へのダイレクトメッセージ)を読み上げました。

その人は、別の都市でフラワーデモに参加してるけど、そこでは「声」を上げられないから、私にFLOWER DEMO@熊本市で発信して下さいとのことでした。

前置きが長くなりました。

では、私の就学前~高校までの性暴力被害について、綴っていきます。

私は長い年月、性暴力被害について「解離」という症状が起きてて、忘れてました。


☆。.:*:・'゚★。.:*:・'゚☆。.:*:・'゚★


就学前、それは母の知人のおばあちゃんの家の奥にある下宿でのことでした。

3人の若い下宿生が、当時就学前の私のスカートをめくり、下着を取り、3人の膝の上に乗せたりして、性器をさらしてイタズラしてました。

顔見知りでした。

しかも、3人掛かりです。

誰にも言えませんでした。というか、自分自身に何が起きていたのかが、理解できませんでした。

まだ就学前ですからね。

そして、「解離」が起きました。


小学校の時は、母の別の知人のおばあちゃんの家で起こりました。

顔見知りの同じ校区に通うお兄さんみたいな存在でした。

ある日、2人掛かりで押し入れに閉じ込められて、スカートをめくられ、下着をはぎ取られ、イタズラされました。

足をバタバタさせて抵抗しましたが、相手は上級生で2人掛かり、とてもかないません。

私は誰にも相談できませんでした。

顔見知りなんで、今でも年に1~2回会います。

その性暴力加害者は、二人とも結婚して子どもを育ててます。

一見仲の良い夫妻です。子どもさん達もかわいいです。

でも、過去に私が小学生の時に性暴力をしました。

私は「解離」が起きました。


その顔見知りの性暴力加害者の一人が中学生の時、私は小学校高学年だったと思います。

「触りっこ」しようと、その顔見知りの中学生は言いました。

そして、私の手をズボンのポケットに強引に入れました。

母の知人の家までの狭い道路でのことです。

そのズボンのポケットには穴が空いていて、その性器に私の手を強引に付けました。

そして、「触りっこしよう」と言って、私にその中学生の性器を触らせました。

その気持ち悪い感触、蘇って来ます。

そういうことが、何回もありました。

「触りっこ」ですから、私の性器も触られてた可能性もあります。

もうとうに、押し入れの中で、私の性器は触られてましたがね。

私は誰にも相談できませんでした。

「解離」という症状が起きました。


中学では修学旅行の時に、性暴力被害に遭いました。

学校の先生から、男子生徒の部屋に行って、何かを伝えてきてくれとのことでした。

そして男子生徒の部屋の入口で、先生からの伝達事項を伝えたら、その10人ぐらいの男子生徒がいきなり私の腕を掴み、部屋に引きずりこみ、布団をかぶせられました。

そして、胸やお尻、陰部を触ったり揉まれたりしました。

私は何事もなかったフリをして、布団から抜け出し、静かにその部屋を去りました。

その10人は、クラスメートだったかもしれません。思い出せません。

私は誰にも相談できませんでした。

同じ部屋の女子のクラスメートから、「涙が流れてるよ」と言われました。

私は自分に何が起きたのか、わかりませんでした。

同じクラスメートなのに。

修学旅行が終わってからも、私は何事も無かったようにふるまいました。

私は学級委員長でしたから。

その後、「解離」が起きました。


高校の時の性暴力被害。
同じクラスの席が後ろの男子生徒から、足を伸ばされて、お尻をずっと触られてました。
授業中、ずっとです。
椅子に学校指定のカバンを置くと防御できましたが、
それだと椅子に浅く腰掛けることになるので、
授業中辛くなってきます。

それで、カバンを外すと、すぐに足を伸ばされて、お尻をずっと触られる。
その足の感触、気持ち悪くて、苦しかった。
今でも覚えてる。
私はその後ろの座席の男子生徒に「止めて!」と直訴した。
でも、その輩は、ずっと止めなかった。
授業に集中できなかった。
そして二次被害

その男子生徒の隣りの席の男子生徒が、「気持ちいい?」と授業中に加害男子生徒に聞いてた。
「止めるように」と注意しないで、「気持ちいい?」と男子生徒に聞く。
私は誰にも相談できませんでした。
そして、休学まで追い込まれます。

もちろん、その性暴力被害だけが理由じゃないけど。
その高校は、熊本県で学力トップの進学校。
今でも変わってない。
高校の同窓会に一度だけ、嫌々参加しなきゃならなかった時、
20代で大学卒業と共に弁護士になってたクラスメートも居たし、

司法書士になってた中学の時からのクラスメートも居た。
その進学校からは、東大や京大へ進学する人も多かったから。
私は熊本大学に進学したけど、その高校では熊本大学って、医学部以外は落ちこぼれ?と言われるような高校でした。
もちろん、私が高校の時のことで、

今ではそんなことはないかもしれません。
でも、その高校出身で、官僚になった人もいるでしょう。
政治家になった人もいるでしょう。
その高校出身の人達が、この日本という国、熊本県の県庁、熊本市役所に勤めて、行政を動かしてる人も多いでしょう。
そういう人達の高校時代、

そういう性暴力加害をした男子生徒が居たという事実。
「お尻を触られただけで、晒すな!」という二次被害の声には、スルーします。
足の指で、巧みに気持ち悪く動かしながら、執拗に何度も触り、私が「止めて!」と訴えても聞かなかった。
そして、

それを見ていた加害生徒の隣りの席の生徒も、「気持ちいい?」とか授業中に、加害生徒に聞いてた。
授業中に起こった、同じクラスメートからの性暴力被害です。
私はその理由も含めて、休学まで追い詰められました。
まだ16歳だった私。
誰からも責められたくありません。

私は悪くないし、ちゃんと「止めて!」と加害生徒に訴えてます。
それでも、止めてくれなかった。
席替えがあるまでは、長い長い月日が掛かりました。
誰にも相談できませんでした。

そして、「解離」という症状が起きました。

「解離」は、私が生き抜いていく為に必要な心の作業だったのだと思います。


「私の性暴力被害(大学)」に続きます。






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