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罪悪感の根底にあるもの


たくさん買い物をしたとき

贅沢なランチを食べてしまったとき

誰かにひどいことを言ってしまったとき(普段は言わないのに)

何もせずに1日を過ごしてしまったとき

上司が嫌だからと言ってすぐに退職したとき

定職についてないとき


こんな時に、罪悪感が湧いてくる人が多いと思う。

でも本当に罪悪感を持たないといけないのだろうか。

結局、罪悪感とは「自分が持っている価値観に照らし合わせて感じるもの」
であって、法律違反をしていなければ、誰も私たちを罪に問うことはないのに。

そのことに以前も気づいたことがある。

「罪悪感を手放すセミナー」に参加したとき「母とはこうするべき」
「妻とはこうするべき」と、幼い頃からそばで見ていた母の背中から
勝手に思い込んでいた価値観に照らし合わせて、自分である自分を
罰していたことに気づいた。

その時には時代も状況も違うのに、専業主婦だった母をお手本にして思い込みを持つのはおかしい、と気づいて「べき」を捨て、罪悪感を捨てることができた。

また今「楽しむことへの罪悪感」を手放せずにいることに気づいた。

毎日のスケジュールが仕事でいっぱいに埋まっていたら、
罪悪感を持たないのに、旅行や遊びの計画でいっぱいになると
罪悪感と不安が湧いてくることに気づいた。

この罪悪感の根本にあるのも
「毎日朝から晩まで働くべき」
「生きるのは辛いことがあるのが当然」
「働かざるもの食うべからず」
「贅沢は敵」(いつの時代?)

などが根底にあるからだと気づいた。

もちろんお金が全くないのに、借金だらけなのに一切返済するために働かず、というのはダメだけど、少しの余裕があって遊ぶことにさえ、遊んでる時に罪悪感を持ってしまうのは、やっぱりおかしいと気づいた。

不要な考えはいらないから手放す時なんだ、と気づいた。

何より罪悪感を手放した方がいいと思ったのは、
「この瞬間が楽しいはずなのに、罪悪感で楽しさを消してしまっていること」
に気づいたから。

なんてもったいない。

もちろん大変なことも、思いがけないハプニングもこれからあるだろうけど、
少なくとも今は楽しいのであれば、その楽しさを十分に味わえばいい。

最後は自分に許可を出して、楽しさに罪悪感を持つことを手放した。

多分、もう大丈夫。
きっと楽しめるはず。


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Hiromi  U.
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