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「街①」優しさと太陽の街

noteにエッセイを書き始めて、3ヶ月目になった。
今月は「テーマ」を「街」にして書いてみようと思う。

客室乗務員という仕事をしていたおかげで、いろんなところに行くことができた。
今も旅は1番の趣味、と言ってもいいくらい大好きだ。
それほど好きなんだから、きっと何か書けるはずと思って、30日のチャレンジを
今日からまた始めよう。


「宮崎」


一応30 都市リストを作成しているのだが、なぜかこの街を一番に書きたいと思った。
もちろん、大好きな街だ。

九州の南部に位置し、「陸の孤島」というありがたくない呼ばれ方をするが、
とてもとても良い街だ。

人が優しく
食べ物が美味しく
物価が安い
何より太陽の国だと思う。
(単に私が太陽が好きなだけ)


私が初めて宮崎に行ったのは、客室乗務員時代の「宮崎ステイ」。
宿泊を伴う勤務の時だ。
最終便で到着し、ホテルに着くとすぐに、クルー全員、つまりパイロットたちも
一緒に全客室乗務員で、橘通りに出かけるのが常だった。

当時は「飲酒」についても、なんのルールもなく、24時間前ルールなんて一ミリも存在していない。
私は見掛け倒しで、実はあまりお酒は強くないが先輩たち、パイロットたちには酒豪が多い。だからきっと今のクルーたちは大変だと思うが。

そして今ほぼ毎年、大学でのお仕事で宮崎に行く。
確かに小さな都市だが、空港へも車で30分くらいで、繁華街も一箇所だけなので、便利は良い。
学生の人に聞いても、「宮崎大好き」な人たちがとても多いのも、うなづける気がする。

旅行で宮崎に行った際、向こうから自転車を押してくる中年女性がいた。
狭い道のため、私たち家族は一列になって通ろうとしていたら、その女性は自転車を止めて私達が通り過ぎるのを待っているのだ。

都会では考えられない、余裕のある行動。
「ありがとうございます」
と思わず言って通りすぎた。


沖縄が本土復帰する前は、宮崎は新婚旅行先として一番人気だったと知っている人はどのくらいいるのだろうか?

現在は、新婚旅行客はほぼいないが、2月に行くと「キャンプだらけ」の街だ。
野球、サッカーのメジャーな選手たちが一斉にこの街に集まるのだ。
タクシーの運転手さんも、なんとなく忙しそうに見える。
ビジネスホテルもなかなか予約が取れない日が続く。


宮崎で必ず行くのが「一平寿司」

と聞いてすぐにわかる人は、かなり「通」だ。

亡くなった作曲家の平尾昌晃さんと一平寿司の大将が考案した「元祖レタス巻」
のお店だ。

私は客室乗務員時代に先輩たちに連れて行ってもらった時は、小さなお寿司屋さんの隣に喫茶店があり、そこで注文すると「レタス巻き」が食べられた。
一緒に頼むのが、
「カニ汁」。

以前はワタリガニが一杯入っていたのだが、今は少し量は減っているように思う。
ただ、お店はとても大きくなり、観光客も多くなっていた。
「宮崎にきたなー」と感じる瞬間だ。

お昼は、「釜揚げうどん」を、「戸隠」または「重乃井」で食べる。
重乃井は、巨人とホークスの選手の写真とサインで壁はいっぱいだ。
ここも先輩たちに教えてもらったお店だ。

そして市内唯一のデパート、山形屋へ。昔のデパート、という感じは否めないが、
ご挨拶みたいなもの。

そして、一昨年は繁華街でふらりと入った居酒屋が実は宮崎ではかなり有名な居酒屋だったことが後からわかった。

「森 伊蔵」を一杯五百円で飲ませてくれる店なんて、きっと他にはないだろう。
宮崎が口蹄疫で苦しんでいたときの感謝の気持ちを、この価格で出し続けているらしい。
何を食べても美味しくて、カウンターの隣の人とも話が弾んだ。

空港

そして行き帰りともに宮崎ブーゲンビリア空港を利用する。
一階にある、フルーツジュースバーによく立ち寄る。
さらにお土産として、日向夏ゴーフレットや、時に珍しい焼酎(宮崎限定など)、宮崎ソーセージなどを買って、レストランで飛行機を見ながら軽く食事。
まだマンゴーや、宮崎牛を買って帰った事はないが、食の宝庫だと思う。
航空会社はJAL、ANA、ソラシドエア、など様々な飛行機がいるのも嬉しい。

客室乗務員現役時代に何度も何度も訪れた空港。
「09ー27」の方向にあり、以前のターミナルは、09にとても近く、
キャプテンたちが「今日は09だから」というと、安全ビデオもなく、自分達で
安全ビデオの代わりをしていた私たちにとって、かなり急ぐ必要があることを意味した。
それでも、緊急時の説明ができなかった事はないが、「09だから」という言葉が、私の宮崎空港の最大の思い出だ。

客室乗務員時代の思い出

最終便で到着すると、よく先輩たちと行った「餃子や」があった。
風俗店の隣にあり、呼び込みのお兄さんが立っているそのすぐ横にある、老夫婦で
完全手作り、「鉄板餃子」という言葉さえまだない時期に、丸い鉄板に10個の餃子を焼いて出してくれる。
それとともに「あさりの味噌汁」を頼む。
小口ネギがいっぱい入った、出汁の聞いた、味噌汁。
そしてみんなで餃子でビール。
おばちゃんは、手作りの皮を小さな延棒で伸ばしながら、手際良く「あん」を包んでいく。
おじちゃんは、丸い鉄板をいくつも並べて焼く。
それを見ながらビールをいただく。

今日の仕事の疲れを癒しながら。
美味しい食事と、楽しい仲間。
あの時は、そのありがたさをわかっていなかったが、あの瞬間あの場所にいられて
至福の時だったんだと思う。

残念ながらこの餃子店はその後なくなっているが、あの餃子を超える餃子にはまだ
あったことがない。

2021年の宮崎


今年はコロナの影響で、宮崎の大学での仕事がなかったのは、残念だ。
来年行けることを楽しみにしている。

と言いながら、旅行で行こうかと思うくらい好きな街だ。
大学の先生方は、20年近くも変わらず私に仕事をくださる。
責任者の方は3人も変わったのに、引き継いでくださっているのは本当にありがたい。

太陽と優しさの街。

思い出しただけで、今からでも行きたくなる。

宮崎からレンタカーで、都の岬、天岩戸神社へも行けるのだが、私はいつも宮崎市内で満足してしまっている。もっともっと多くの魅力を持つ宮崎だが、仕事の時にわざわざ前泊するほどの宮崎好きの、偏見と独断に満ちた宮崎市紹介は、この辺にしておこう。


上野 博美


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