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感謝と罪悪感は紙一重



感謝を大事に

この言葉は、よく言われているし、ついうまく行っている時は、天狗になってしまう人間への戒めの言葉だと思う。


実際にうまくいっている時は、「自分がすごいから、偉いから」と
思いがちだからこそ、誰のおかげで今の自分があるのかを考えよう、というのはとても大事だと思う。


だけど、ちょっと違和感を感じることもある。


愛情とお金を惜しまずかけてくれた両親には、感謝しかないし、できる限りのことをしようと思っている。

でも、「ここまでやってもらって、申し訳ない」という気持ちが少しでもあったら、それは「罪悪感からの感謝」のような気がしている。

例えば、友人に引越しの手伝いをしてもらって、想像以上に働いてくれ、汚れ仕事までしてもらったら、ご飯を御馳走するくらいでは足りないと思うかもしれない。

だったら、少しお金を包んで渡せばいい。
そうすることで、自分の罪悪感が消えるのだから。
そこから純粋な感謝になる。

たくさんのギブを受け取る➖(マイナス)罪悪感=純粋な感謝

という図式だといいなと思う。

人との関係は、例え身内であっても、基本的には対等が良いと思っているからかもしれない。


たくさんしてもらったまま

お世話になりっぱなし

だと、こちらが引目を感じ、罪悪感になる。

(私だけかな?)


申し訳ない、という気持ちになったら、感謝を通り越して罪悪感になる。

だから自分ができることを相手に何かする。
相手がして欲しいと思っていることを、する。

そうすることで、感謝の気持ちを表すことができ、罪悪感も消え、長い付き合いになる気がする。


身内に対して、特に夫婦間は気をつけないといけない。
奥さんが病気で寝込んでしまった時、旦那さんへの負担が増えたとする。
そうすると、「申し訳ない」が先に立ってしまって、「感謝」と言いながら実は罪悪感だったりする。

でもそもそも奥さんが何もせずにぐーたらしているのであれば、別だけど、ちゃんと日頃家事も育児もやっているのであれば、年中無休の奥さんが体調を崩した時くらい、威張って休んでもいいのに、と思う。

そう思ってくれる旦那さんだったら問題はない。
「たまにはゆっくりしなさい、ってことだよ」なんて言われたら、本当に感謝の気持ちを持つだろう。罪悪感なしに。

これは

正しい自己評価=純粋な感謝

という図式で
ここには罪悪感は全く表れていない。

でも「私が病気になったからみんなに迷惑をかけてる」と思ってる場合は

罪悪感マイナス罪悪感=純粋な感謝

になるといいのになと思う。

感謝という綺麗な言葉の中に、もし罪悪感という黒い気持ちがあるとしたら、それは純粋な感謝だけになるように、

こちらのギブを増やすか、

自分を大事にするか、

した方がいいと思う、なーんてことを思ったことがあったお話。

でも、もしかすると単に甘えることが苦手な私だけが、そう思っているのかもしれないけど。

でも、感謝の気持ちは大事。

そう自分に常に言い聞かせよう。つい忘れてしまいそうだから。

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