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JR150周年記念ファイナル切符で行った  東北3日旅 最終日「初ストーブ列車体験」「太宰ファンにはたまらない街、金木町斜陽館」青森は魅力いっぱい

五能線

3日目は、青森から五能線に乗ってまずは五所川原へ。
どんどん雪が深くなっていく。そこまで寒くはないけど、今までの盛岡や山形とは違う、まさに雪国の様相だ。

私は青森空港と三沢空港には、何度もフライトをしていて、ある時は着陸と同時に青森空港が雪のため閉鎖になったこともあり、その間ずっと除雪作業を待っていた経験もある。
しかし、実際に観光したことはなく、だからこそ今回本州最北端の青森にはぜひ行きたかったのだ。

イメージは、りんごと雪。
それはその通りだったけど、青森駅周辺はなんとなく寂れていて、「これなら盛岡の方がいいよな」と正直思っていた。



津軽鉄道会社
切符を買う人の列

五所川原に向かう電車は観光客でいっぱい。
みんな五所川原で降りると、一斉に「津軽鉄道切符売り場」へ向かう。
津軽鉄道切符は、駅の窓口または車内でしか買えない、予約もできないからだ。

行列ができている。

昭和のレトロな感じがする駅舎も、風情がある。
夏には風鈴列車が走り、冬にはストーブ列車が走る。
社員の人たちがみんなでこの路線を支えているのがよくわかる。


レトロな光景

スルメは以前500円だったらしいが、諸物価高騰の折700円になっていた。
酒好きの人には、たまらない時間らしい。(私はお酒に弱いし、日本酒は苦手だが)


女性の職員の人が焼いてくれる
駅構内

ストーブ列車

列車は、ストーブのない車両ならば500円。
ストーブ列車はプラス500円払う。
片道1000円ほど。往復2000円だけど、みんな喜んで払っている。
(決して距離は長くはないが、車内ではガイドさんの観光案内がアナウンスされ、スルメを購入した人は、スルメを焼いてもらえる)



私は事前情報はあまりなかったが、待っている間にだんだんとワクワクしてきた。
乗り込むと当然人気はストーブの前。
私は行きはストーブ前は座れなかったが、帰りはストーブ前に座れた。
一人旅の人も案外多い。
そしてみんなやっぱり楽しそう。


車窓からは、一面の雪景色。
観光客目線からすると、この雪景色さえこの風景の一つに見える。
この雪景色があってこその、津軽なのかな、と思った。

(暮らしている人は、きっと大変だと思うが)


リンゴジュースは150円 美味しかった


青森、というよりも、この景色を見ていると「津軽」という地名の方がしっくりくる。
そしてこの田舎の景色を見るにつれて、青森の魅力は「田舎にこそある」のではないか、とこれも観光客目線で思う。
北海道にもたくさんの自然があるが、青森にも多くの自然や、他の県にはない魅力がたくさんあることに、今さらに気づく。


田んぼにいる白鳥

そして金木到着。



斜陽館

太宰治記念館「斜陽館」までは徒歩8分くらい。
あっという間に到着。


斜陽館

その立派な外観にびっくり。
津軽鉄道のガイドの方によれば、貴族院議員でもあった太宰治の父親が建てた「総ひば」で作られた、とてつもなく大きなこの家を、もし今建てるとしたら7億から8億円かかるらしい。
ちなみに、「ひば」は、建築材木の中の最高峰らしい。
とてつもないお金持ちだったということわかる。この家で太宰は生まれ、使用人含めて20人くらいでこの家で暮らしていたらしい。


小説「津軽」にもこの家の記述がでてくる。

この家の6男として生まれたことを、ある人は幸せな人だね、と思うかもしれないが、太宰自身は、幸せでもあり、不安も感じながら育っていく。

ひとつひとつ丁寧に見て回った、「斜陽館」
帰りに、缶バッジまで購入した。
(太宰に興味がない人からすると、全く理解できない行動らしい笑)


150円の缶バッジ

「人間失格」を初めて読んだのは、高校3年生の時だったと思う。
受験勉強の合間に、貪るように太宰治の小説を読んでいた。
思春期にはちょうどいい、理解しやすい心情が書かれたいたのだと思う。
そして先日再度「人間失格」を読み返してみた。
(電子書籍で、且つアマゾンプライムリーデイングで読める)


スルスルと、一気に読ませてしまうあたり、その内容といい、文才といい、さすがとしか言いようがない。
今は「津軽」を読んでいる。
津軽に実際に足を運び、その空気を感じ、風景をこの目で見てきたからこそ
深く読める気がする。
いくらインターネットが発達して、旅の風景をパソコンで、現地に行かずして見る事ができる時代になっても、自分の五感を刺激して、心が感じるものを超えることは絶対にできない。
私が人間である限り、アナログはアナログな感覚が最も刺激的だ

天才だったんだな、と改めて感じる。


太宰が執筆していたであろう場所を再現したところに座ってみて、文豪気分を味わう。
彼がこの地に生まれたこと、この家に生まれたことも、全部運命で、その後の人生も運命の通りなのだろう。
そう考えると、人間の人生は全てどう転んでも、その転んだ先さえも運命なのかもしれないと思う。
それは悲しいことではなく、むしろ何があってもただただ生きてればいいんだ、という気づきにも受け取れる。

色んな感慨を胸に、すぐ目の前にあるお土産屋に向かい、いくつかの土産を買う。
ラーメンもついでに食べておいた。


素朴でおいしかった

この町自体が、太宰治一色のような感じがして、なかなか去り難いが電車の時間には負けてしまう。
この町で、太宰カフェでも開きたいと思ってしまった笑



新青森駅へ

帰りもストーブ列車で帰る。
私たち昭和世代も楽しんでいたが、明らかに20代の鉄道オタクも結構乗っていて、津軽鉄道は世代を超えてファンによって支えられていくんだろうな、と思った。




乗り換え駅


東京へ





新青森駅


新青森へ向かい、そこから一気に「はやぶさ」で東京へ戻る。
新幹線は大混雑。
私の隣は、白人の若いカップル。

日本に観光に来てくれているのだとしたら、ありがたいことだ。

ただ、下車する際にその考え方やマナーの違いを感じた。
どちらが正しいとか、悪いとか言うつもりはないし、私がえらいと言うわけでもないが、お掃除の人の仕事だ、と思う国民性と、お掃除の人が少しでも楽になるように、と考える国民性の違いなのかな、と思った。
または、「立つ鳥跡を濁さず」と言う気持ちがあるか、ないか、なのかもしれない。


左が私が座った席 
私はシートを戻したが、彼らはフルリクライニングをそのままだった

「立つ鳥鳥跡を濁さず」と言う諺は、英語でドンピシャのものはないようだ。
言葉がない、と言うことはその概念がないと言うことだと改めて思った。

3日間の旅を終えて


九州出身の私は、東北を舐めていましたね笑
いやー東北、魅力がいっぱいです。
そして青森は、昔からやはり国防の要所でもあったらしく、あまりこの地理的なことは
書かない方がいい、と太宰治が「津軽」でも記している。
青森、侮れない。本当にそう思った。
今度は夏にいけたらいいな、と改めて思っているところだ。

旅は私のライフワーク。
旅に行くたびに、自分の固定観念を崩され、新たな発見をし、多くの学びがある。
太宰治の文章のうまさに再び感動しているし、石川啄木の奔放に見える生き方も、全ては自分の才能を世に認めてほしい、と言う、現代にも通じる芸術家たちの姿だとわかった。

これからも私はまだ行ったことがない日本を訪れるだろう。
どこに行っても、そこには一生懸命働く人たちがいて、暖かく迎えてもらえることを、信じて
疑う余地がないことを、本当に幸せに思う。

お世話になった皆様、ありがとうございました。
そしてこうして自由に旅ができることに、心から感謝だ。




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