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秀才ギタリスト

「人」シリーズ第23弾。


幼い頃から続けて来た、ドラムと英語。
ただ、好きなことを続けただけだが、
結局英語を生かした道に進んだ。でも音楽をやって来たことは無駄だとは全く思っていない。

親はお金がかかったと思うが、子供にとっての私には、全く違う世界の友人ができたからだ。

世界を広げる、ということは若い時ほどやっていた方がいい。
年を取れば取るほど一般的に世界は狭くなるからだ。
一度広げた世界は、そんなに簡単に小さくはならないし、さらに広げていくことは簡単だからだ。


ということで、音楽の道で出会った友人2人目。


「秀才ギタリストとの出会い」


なぜ、秀才なのか?

私が彼と出会った当時、彼は有名大学の有名学部の学生だったからだ。
その東京有名私立大学の音楽サークルに、他大学の私が所属していた。

東京では、私立大学同士の交流が盛んだ。
先日書いた「女子寮」の先輩が、やはり他大学なのだが、その有名私立大学の音楽サークルのマネージャーをしていたことがきっかけだ。


その先輩が私がドラムをやっていて、今でも東京のドラムスクールに通っていることを知り、すぐに声をかけてくれた。
「うちのサークルに入らない?」と。

私の大学には、有名アーテイストを輩出したサークルがあるが、なぜか私はE S.Sという英語サークルに入っていて、自分の大学では音楽サークルに入っていなかったのだ。


まあ、面白そうかな、と思ってそのサークルの見学にいった。
先輩が私を紹介すると、その一年先輩の「秀才ギタリスト」は「ちょっと叩いてみて」と言い、言われるがまま、なんの曲だったか覚えていないが、叩いてみた。

すると「いいね」
「女子にしては迫力あるよね」
(どこでもよく言われる台詞だが)
と言い、自分のバンドに入って欲しいと言われた。


断る理由もないし、何かのきっかけになれば、と思ってそのサークルに入った。
週に1回程度の練習、そして年に一度のその大学での学祭出演。
その前後に少しづつみんなのことを知るようになった。

「天才ボーカリスト加入」


特に翌年1人の音楽大学声楽科に在籍している、18歳とは思えない、大人っぽい、そしてファッションセンスが抜群で、個性的な女の子を、秀才ギタリスト、バンドリーダーが連れて来た時は衝撃だった。

「天才だ」

と思った。

即私たちのバンドメンバーとなり、このボーカルの女の子のために、秀才ギタリストは次々に曲を書き、練習しながら編曲していった。


楽しかった。

もちろん全てはバンドリーダーである、秀才ギタリストの彼の曲、プロデユースがうまくいったからだ。

あまり普段喋らない人だが、練習中は必要なことは喋る。
そして、いつも音楽のことと大好きな彼女のことを考えていたように思う。


私はドラムだから、決して目立つわけではないが、女子でドラムは確かに珍しい。
他にキーボードが女子。3人の女子がいるバンドで、なかなかユニークな曲が出来上がっていった。

イタリア語での曲は特になかなか聞けないと思うが、声楽をやっているボーカルの子にかかれば、イタリア歌曲も目ではない。

こうしてそれぞれの特徴を生かしたバンドは、だんだんと有名になっていった。
渋谷のライブハウスに、ボランテイアで定期的に出演させてもらうようになると、
アーテイストたちが見に来るようになった。

そしてデモテープを作成して、提出。

バンドデビューと別れ

バンドデビューが決まった。

そして、私はバンドを抜けた。
バンド活動が本格化して、「音楽の世界は自分には合わない」と思うようになっていた。
デビューすると、もう抜けることはできない。
だからこそ、その前に抜けたい、と言った。
この決断は間違ってなかったと、今でも思う。

バンドはその後ドラムメンバーを入れて、デビューを果たした。
有名アーテイストも見に来ていると聞いた。

ボーカリストの彼女はその後ソロデビューもし、今はプロデユーサーや楽曲提供、
様々な仕事をしている。

いつ会っても、全く年齢を感じさせない姿は不思議で仕方がないが、やっぱり普通の人ではなかったと思う。

秀才ギタリストの彼は、その後他のバンドでも活躍し、私もライブに行ったこともある。

他にもメンバーには大きなヒットを飛ばした人もいて、このメンバーと関わることができたのは、本当に良い思い出だ。


秀才ギタリストの名言


私は大抵の人たちのことをよく見ていて、その人が言った言葉が一つくらいは心に残っているのだが、この秀才ギタリストの彼の言った言葉は、思い出せない。

話すよりも、音楽で語っていた人なのかもしれない。
そして、本当に優しく、繊細で、何より音楽とギターが好きだった人だ。

その後このメンバーで数十年ぶりに会った時、秀才ギタリストは既に亡くなっていたことを知った。

最後の最後まで音楽の道で生きていた彼だったのが、唯一の救いだ。

何も恩返しはできていない。せめてもう一度会って、昔話をしたかったなと思う。

「人は愚か」

この「人」シリーズを書いていて、すでに亡くなっている人の話も書いて来たが、だからこそ思う。


人は、いつ人生が終わるかは誰にもわからないのだ。

そして、それは今日かもしれないし、明日かもしれない。
だけど、ほとんどの人が、まだまだ自分の人生の終わりは先の先だと思っている。
なんの確証もないのに。

平均年齢なんて、あくまで平均で、自分に当てはまるかどうかはわからないのに。


あの時サークルに入ることを即決し、秀才ギタリストのバンドメンバーに入れてもらって、本当に良かった。
あの時は間違いなく存在したが、あの時しか存在しなかった瞬間だ。

間違いなく出会うべくして出会ったのだと思うが、そこまでの間にはいろんな「縁」があって、その「縁」を繋いで、会うべく人たちに私たちは出会っているのだろう。


だからこそ、人と出会ったことは偶然ではないし、何かの意味があるんだ、とこの年になると実感する。

驚きの若い感性

それにしても、若い時の自分の感性に驚く。
何も考えずに、フィーリング、感覚だけで決めていた事柄が、案外正しいのだということを突きつけられている。


大人になって、考えすぎて判断を間違うことが多いのではないか。
もう一度、若い時の感覚を取り戻して、余計な情報を遮断して、選んでいった方がいいのではないか。

コロナによって、考えて判断したことが、あっという間にひっくり返させられることを経験したので、実は今まさにそう思っている時期なのだが、「やっぱりそうか」と妙に納得をしている。


もう一度会いたかったよ。
バンドに誘ってくれてありがとう。
本当に尊敬していました。


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