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時代にあった人が生まれてくる(スター編)



こないだは、「若者」が時代にあった脳のソフトを持って生まれてくる、という記事を書いた。

だが時代に選ばれた人、時代に合っている人と言えば大スターたちだと思う。



先日、元東京都知事、作家の石原慎太郎氏が亡くなった。
その1ヶ月後くらいに奥様も亡くなったのにも驚いたが、一つの時代が終わったと感じさせる人だった。

ただ私自身は作家としての作品はほとんど読んでおらず、弟だった石原裕次郎氏のことについて書いている「弟」を読もうと思いながら、まだ本を買っていなかった。

たまたま立ち寄った本屋で見つけた「文藝春秋」が発行した

「石原慎太郎と日本の青春」と

いうソフトカバーを買った。

石原氏の死後、彼の作品やインタビューをまとめて発行したものだ。

弟である石原裕次郎氏はもちろん、あの三島由紀夫を始め、田中角栄、立川談志、勝新太郎とも交流があったという、本当に華々しい人脈だ。


なぜ作家として芥川賞もとった石原氏が政治家になったのか、についてもあまり知らなかったが、日本のこと、あらゆることに対してしっかりした信念を持っていたからこそ、それを実現するのには、政治家になるのが最も手早いと思ったようだ。

考えてみれば、東京オリンピックが決定した際、石原氏が東京都知事だったのだ。
(もちろんその後コロナもあり、オリンピック自体もあれこれと言われたが)


作家と政治家、という、全く違うように見える二足の草鞋をずっと履き続けていたことも稀有であり、間違いなく弟の裕次郎氏とともに

「日本の青春を作った人」

「昭和の復興時に選ばれて生まれてきた人」と痛感した。



その時代に必要な人が生まれてきて、その人たちのおかげでブームが起き、経済も活性化され、生き方やライフスタイルまで変わる。
そんな人たちがそれぞれの時代に生まれてきた意味なんだな、と思う。

今そんな大スターがいるのかは私はよく分からないが、きっとその時代その時代に必要な人は今後も生まれてくるのだろう。
そう考えると、神様、いや宇宙とは本当によくできているものだと、感服する。


私の両親世代が最も影響を受けた、石原裕次郎氏と慎太郎氏。
まさに大スターであり、誰もが知っている兄弟だ。

今頃は兄弟二人が出逢えているのかと思うと、同じ年代ではない私も遠い存在の人たちにように思えない。
それはおそらく、私が石原裕次郎氏に会った、いや見かけたことがあることも理由の一つかも知れない。



私が客室乗務員訓練時代、訓練所に朝到着して同期たちと一緒にお手洗いに行っていた。
ペチャクチャとおしゃべりをして、お手洗いを出たその直後、女子トイレの隣にあった男子トイレから、一人の男性が出てきた。

私たちは、ふと振り返り同時に「きゃー」と、まさに黄色い声を出した。

「やあ」

右手をあげ、そうあいさつしたその人こそ、石原裕次郎氏だった。

当時私は20代前半。
裕次郎氏は、当時「西部警察」を撮影中で、その撮影で飛行機のモックアップ(模型のようなトレーニング施設)で撮影が入っていると、その後教官から聞いた。

テレビで西部警察を見ていた私たちが、裕次郎氏を見て「きゃー」と言ったのは不思議ではない。それでも当時私たちからすると「おじさま」の裕次郎氏になぜ「きゃー」という黄色い声が出たのか?


反射的に声が出ているのでその時は理由がわからなかったが、多分「オーラ」「足の長さ」(本当に信じられないくらい足が長かった)「かっこよさ」

なのだろう。


あの大スターのオーラは見たことがない人には、なかなかわからないと思う。

「訓練中なのですから、きゃーきゃー言わないでしっかり訓練に集中してください」


と、教官から釘を刺されたこともよく覚えている。

それでも毎日勉強ばかりで、本当に辛く大変だった訓練時代に、「客室乗務員になってよかった」と思えた出来事だった。

スターと大スターは、違う。
その輝き、存在感は一般人には眩しすぎる。
そんな大スターがあの時代に生まれてくる必要があったのだろう、とつくづく思う。

もちろん、私たち一人ひとりもこの時代に合った人たちとして生まれてきて、何かしらの存在意義があるのだ。
脳のソフトをアップデートしつつ、生かされている間自分を生かし続けていこうと思う。

なんたって私たち一人一人が「時代に合った人たち」なのだから。


追伸


「時代」をキーワードに書いてみたが、「時代」という名曲を10代のうちに作った「中島 みゆき」の天才ぶりには感服する。

彼女も時代に合った人なのだろう。


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