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3月26日
今日は、なんだかとても運が良い日らしい。
3つくらい、良い日が重なるとか・・・
でも私にとっては、生涯忘れることがない日だ。
息子の命日。
生後間も無く亡くなったので、生きていれば30歳。
この日は、寒の戻りですごく寒い雨の日だった。
あまり記憶はないけど、寒かったことは覚えている。
このことを書けるように、また人に言えるようになったのもここ最近だ。
30年の年月がかかった。
それでも、数少ない息子の写真はいまだに見る事ができない。
どこかに仕舞い込んだままだ。
友人でも知らなかった人は多いし、私からいうことはほぼなかった。
本当に苦しい時は、誰にも会いたくないし、誰にも話をしたくない、ということを
私は知っている。
人に話せるということは、まだ余裕があるということだ。
本当にギリギリのところで苦しみの限界にいる時は、人にも会えないし、言えないのだ。
若い頃から、「なんでも経験したい」と思って生きてきたが、まさか子供の死まで経験するとは思ってなかったし、他の経験は全て今となっては
「経験してよかった」
と思えるが、こんな経験はしたくはなかったし、2度としたくない。
忘れる事ができない今日、
お供えをあげ、手を合わせるとやっぱり涙が出る。
ただただ一緒に過ごしたかった、と思う。
そう思っても仕方がないことだとわかっていても、どうしようもない。
考え始めると、どんどん深い闇に入っていき、堂々巡りの思考に囚われてしまうので、思考をストップする。
子供がすくすくと育っていくことは、決して当たり前のことではないのだ。
毎年毎年、いや毎日のようにあなたのことを思わない日はない。
もう少しお母さんは頑張るから、と独り言をいう。
姉である、娘は実感はないらしいが、それでも弟の分まで自分は頑張ろうという気持ちはある、と言っていた。
3月26日は、私がこの世を去るまで、または記憶がなくなるまでは、私にとって決して忘れる事ができない日だ。
これを書こうかどうしようか、悩んだが、こうして書けるようになった事が私にとっては一つの階段を上った気がしたので書くことにした。
ひっそりと、ただ自分のために。
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