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人の幸せは誰にも分からない



人の幸せを、他人が判断してはいけない。
本人が幸せと感じてるかどうかが、全てなのだから。

ただただ夫の幸せを第一に考え、生きた伯母が私にはいる。
伯父は、仕事もでき、遊ぶのも大好きで、人脈も広く、人望も厚い人だった。
定年後も、趣味のゴルフやスキーに励んでいたが、やがてスキーは骨折してドクターストップがかかった。
お酒もたくさん飲んだ伯父だったが、くも膜下出血で2度倒れた。
その度に元気を取り戻していたが、その陰にはいつも献身的に支えた伯母がいた。
伯父がお金を使い、伯母は決して贅沢をせず、高価な服やバッグなど持っていたのを見たことがない。
伯父が一緒に旅行に行くときは、本当に楽しそうに行くが、それ以外は伯父が不在の時も、文句ひとつ言わず家を守った。

子宝に恵まれなかったことは、二人ともとても悩んだようだが、その分伯父の妹である私の母の子供であった私たち姉妹を、自分の子供のように可愛がってくれた。
結局二人は、伯父が88歳で亡くなるまで添い遂げた。

伯母を、かわいそうな人、と思う人もいるかもしれない。

好きなことも大してせず、ただ自分の時間のほぼ全てを伯父のためだけに使ってきた人だからだ。
でも私の目に映る伯母は、本当に伯父を誰よりも愛し、早くに両親を亡くした伯父の母親がわりのような気持ちで、伯父と暮らしていたように見える。
かわいくて仕方がない。
人気者の伯父が自慢で仕方がない。
親戚一同が集まることが嬉しくて仕方がない。
そんな大好きな伯父との生活は、伯母にとって大変なことはあっても、幸せな日々だったように思う。

伯父が一度でも伯母にありがとう、と言ったのだろうか、と女性として伯母の立場からすると腹立たしく思うが、伯母はそんなことはあてにしてなかっただろう。


無償の愛


それを、血のつながらない身内である夫に注ぎ続けた人生が、伯母にとって幸せな人生だったのだと私には思える。
人はつい、自分の物差しで人の幸せを測ってしまうが、人の幸せは誰にもわからない。その人の幸せは、その人のものだ。
伯母は今年90歳になったが、未だに好きな小説を読み、庭の手入れをし、猫と一緒に暮らしている。

頭も体もしっかりしているし、ワインも時々たしなむ伯母だが、残された時間は決して長くはない。
血のつながりはない伯母だが、もっといろんな話を聞いておこうと思い、時々泊まりに行こうと思うこの頃だ。


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