いつか昔の話をしよう
ぼくには夢がある。
それは、加藤登紀子の『時には昔の話を』に描かれているような青春を送るという夢だ。
時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が 窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
で始まる『時には昔の話を』は、ジブリ映画『紅の豚』の主題歌だ。
(以下の引用もすべて『時には昔の話を』より)
バブル崩壊の翌年、そして『紅の豚』が公開された1992年の夏、ぼくは生まれた。
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その夏はとてもとても暑い夏だったそうだ。
『紅の豚』に描かれているのは太陽にきらめく海と空。
夏を讃えるような美しい情景の数々が描かれている。
登場する島のモデルとなったのは、
今年のワールドカップで話題をさらったクロアチアの「ドゥブロヴニク」という美しい島。
通称「アドリア海の真珠」。
1991年。
クロアチアがユーゴスラビアから独立を宣言した年、このあまりにも美しい島は、セルビア軍の攻撃を受けた。
サッカークロアチア代表のモドリッチが、祖父や故郷を失い、難民ホテルの駐車場でサッカーボールを蹴っていた年だ。
その翌年に、戦争から逃れようとする空飛ぶ「紅の豚」の"愛と自由の物語"が公開されたのは偶然ではあるまい。
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主人公のポルコ・ロッソ(イタリア語で「紅の豚」)は、戦争で友を失った哀しい過去を持つ。
劇中でわずかに描かれる彼の青春は、哀しくも熱くきらめいて美しい。
一方、『時には昔の話を』が発表されたのは1987年。
実は『紅の豚』のために書かれたわけではないのだ。
そこには、学生運動の活動家だった加藤自身の過去が描かれていると言われる。
(加藤の夫も活動家で、2人は獄中婚をしている。)
見えない明日をむやみに探して
誰もが希望をたくした
揺れていた時代の熱い風に吹かれて
体中で瞬間(とき)を感じた そうだね
劇中では、ポルコの過去と加藤の過去が交差し、『紅の豚』の物語を美しく彩っている。
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ぼくも彼らと同じように激動の時代に生きてる。
ぼくが小学生の頃から各家庭にはPCが普及し始めた。
中学生の頃に、ITバブルが起こり、ホリエモンを始めとする若者が時代を変えるとTVで毎日のようにもてはやされていた。
高校生の頃にはiPhoneが生まれた。
その後の10年で世界は大きく変わった。
そして、いまも人類史上かつてないスピードで世界は変わり続けている。
ぼくは、『紅の豚』が大好きだった小学生の頃から、自分が人類の歴史の大きな転換点にいることを感じてきた。
そして、歴史の大きな波を乗りこなし、いつか大きなことを成し遂げたいと考えて生きてきた。
だが、ぼくら人間が一人で成し遂げられることは限られている。
この歌で語られるもう1つの要素が仲間の存在だ。
道端で眠ったこともあったね
どこにもいけないみんなで
お金はなくてもなんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
嵐のように毎日が過ぎていった
息が切れるまで走った
ぼくはこれまでの人生でいろんな人との出会いに恵まれた。
多くの仲間からたくさんの刺激を受けて生きてきた。
そして今も、たくさんの素晴らしい友人たちに囲まれ、毎日を駆け抜けるように生きている。
でも、まだだ。
まだまだ、ぼくは、熱い時代の風を体中で感じるほどのスピードで、息が切れるまで全力で走ってはいない。
多くの仲間たちともっと真剣に仕事をし、もっと本気で遊び、もっと泣いたり笑ったりして、もっと死ぬ気で毎日を楽しみたい。
この歌を思い出すたび、ぼくはそうやって自分を鼓舞する。
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だが、出会いがあれば別れもある。
すべての仲間といつまでも一緒にはいられない。
一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今では分からない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが虚しいものだと
それは誰にも言えない
ぼくらにはいつか別れる時がくるだろう。
だが、いつの瞬間だって、ぼくは、過去に出会った人々からもらったものでできている。
そして、ぼくが交わった人々の中にはきっとぼくがいる。
だからきっと、こうしてみんなと真剣に生きている日々が、無駄になるなんてことはない。
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね どこかで
たとえ、ぼくと離れ離れになっても、みんなは、毎日毎日命を張って生きるだろう。
そして、どこかでぼくの知らない誰かを幸せにしているだろう。
きっとみんなの周りには笑顔が溢れているだろう。
そうやって元気に生きれてさえいれば、ぼくらはいつかまたどこかで出会えるだろう。
そして、いつか昔の話をしよう。
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