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脈略のみの字もない(困)

事の発端はふとつぶやこうとしたときやねんけど。

ひったくりとかは被害者になりうる人に向かって警告する看板が主やん?「ひったくり 犯罪だから やめとこう」みたいな標語ってないやん?でも最近よく問題になってるのは被害者になりうる人に対して自衛を強制しようとする広告ですよね。痴漢防止のためにスカートは長めにしてね!みたいな広告が死ぬほど炎上してるのはまあ生きてたら何回かみるよね。確かに痴漢、あかん。も割とよく見るけどあれって関西圏だけ?どうなんやろ。

まあほんでそこの違いってなんなんやろ?って考えるとひったくり犯はもう後戻りできない、標語なんかで心が動かないような純粋な犯罪者って捉えてて、自衛を促すのってそれと一緒なんかな?って。痴漢する人が存在するのはもうどうしようもないことだからあなたはあなたで身を守りなさいと。だからまあ、痴漢あかんは逆にその標語に何か影響があるかもれない、良心(というか普通の人間としての普通の常識)が働くんちゃうかっていう希望が隠れてんのかな、と思いました。これがいいか悪いかはまた別問題としてね。


とか思ってみたものの、結局責任を被害者に押し付けてるよね?????実際警察の取り調べってなったときには必ずどのような服装でどのような座り方だったとかが一応調査の一部に入る訳やん?結局女が誘うような恰好をしてた、それに乗ってしまった、でもしょうがないじゃん、男は男だからさ。っていうのがやっぱり見え隠れするんよな...んーなんかわからんくなってきた。

でもさあ、男の子やからなあ、で済まされるのは普通に常識をもって他人と接してる男の人に失礼じゃないかなって思うねんけどそんなことないの?それとも全員本能の奴隷なんか?私が世間知らずなだけなんかな?

自衛がどうとかってのは海外でもよく問題になってて、例えば一番よく問題になるのは

男の子が視線のやり場に困るから/勉強に集中できなくなるから/いやらしいきもちになるからブラのストラップは絶対に見えないように。

っていう校則。割とよくあるやつやし、確かに欧米系人の私服とかルールがなかったらまじでえげつない露出の服(学校に適してはいないような)着てくる可能性が大いにあるからまあわからんでもないねんけど。

だらしないから、とか風紀の乱れはよくないからとかやったら全然納得いくのに(正式に書面にはさすがに書かんけど実際先生に聞いたらそんな答えが返ってきたとかよくある)他人の自己管理のできなさ故に自分の着たい服が着られないのは納得いかないっていうのは前々からあって。それと、まあ、一緒な訳やん。一部の人が自分を律することができないから他人を触ってしまう、それによって自分の個性・アイデンティティでもあるといえる服装が制限されるのはおかしい。って思うのは当然かなとは思う。Note the fact that I'm also comparing grown men who molest people on the trains with middle school boys.

(余談やけど、親がその服やめときっていうのはわかってあげてほしいなあっていうのは子供ながらにあるかな。よううちでも揉めてはるけど。絶対に怖い目にあってほしくない、そしてそんな目にあってしまったときに逃げれないだろうっていうのが想像つくからなんやと思うねん。癒えへん心の傷負ってしまったら立ち直るのにもめっちゃ時間かかるやろし、防げたかもしれないって思うと絶対自分を責めてしまうやろし。親が言うのと公共交通機関が広告を打っていうのとはまったく別のベクトルやからさあ。

でも短パンが似合う間に短パンを履きたいのもわかるし、楽やし、タンクトップを着てると自信が持てるし似合ってるから着たいっていう人がいるのもわかるからなんとも言えへんな。そら理想はそんなことを親が言わなくても快く送り出せるような世界やけどいくら日本とは言えそないに平和なわけでもなくてさ。どうしたらええんやろなあ。)

デモとかでもよく見ん?上半身裸とか全裸のお姉さんたちが怒りのデモしてるの。あとヌーディストビーチがどうとか怒ってる人たち。まあ要するにその人らが言いたいのは、「たとえ上裸だろうが全裸だろうが私が望んでないのに触ったり写真を撮るのはおかしい話やろ?」っていうやつね。まあ正直これに関しては男女どちらにも言えることやと思うけど。

男も女もおっぱいは生殖器でもなんでもないねんから露出しようが自由でしょ?!みたいな人もいて、まあそこまで行くと別に見せたいわけでもないから、はあ勝手にどうぞ。ってなっちゃうけど。エロい目で見られたくないときにそうみられない事って権利なん?objectificationまではいかないかもやけど...もうわからんわ。

まあでもしいて言うなら、時代が早く動きすぎてるところもあるんかなあ。性差別がずっと許されてきてむしろネタとして喜ばれてきた世代の人たちが急に、いやそれは犯罪ですよセクハラですよって言われるのに慣れるのには時間がかかるんかな。それが免罪符になるわけでは全くないねんけど。表面にしか見えない体力っていう観点だけで人類の誕生からずっと家にいろ、子供を産め、女は男より下。っていうシステムで運営してきて、権利的に平等に近づいてきたのも最近の話よな。投票も教育も職業も、だいぶ進んできた方なんかな。100年前にこんなどこの馬の骨かもわからん小娘がこんな文章書いてたら即ぶち殺されてたやろうな。問題点ばっかり見えるけど一回、ここまで来たことを褒めたいねー。今はきっと進化の途中なんやろな、とは思う。なんでこんなことも理解できひんの?!もういい加減2019年やねんからさ!!っていう人もたくさんいると思うけど、まあ地道に戦い続けるほかないんじゃないかな。ちょっとした進歩がいっぱい重なって勝ち取っていけるものが平等とか自由なんじゃないかな、って。当然そもそも奪われるはずじゃなかった権利とかなんやけど、奪われてしまってるのは現状そうなんやし。

当たり前やねんけど、世の中には必ず何かしらのパワーバランスがあって。例えば雇い主と雇われた側。政府と国民。男と女。帝国と植民地。そりゃあ野放しにしてたら力で制圧できる方が勝つに決まってるやん。でもそれをバランスさすのが法律やったり地域政策とかであって、それがないんやったら縄文時代となーんにも変わらんやん。

で、まあそうなると結局若者の政治離れ~とかに戻ってくるんよね。政治とかにいったいどこまでの力があんねんっていう疑問はなくはないけど、少なくとも一個人よりよっぽどインパクトがあるはず。でもまた政治離れって一口で言うても要因なんか死ぬほどあるわけやし。

・そもそもテレビみいひん

・見ても政治番組は見ん

・見ても政治番組吐くほどおもんないし知らん偏差値とプライドだけが高いおっさんおばはんが集まってお互いに怒鳴り散らしてる

・根本の説明とかがないから急に見始めたら尚更ぴんと来なくて興味失う

・でもテレビ局は実際数字が取れるじじばばに合わせた番組企画をするから全然変わらん

・代わりにインターネットでもの見るけどインターネットの最大の利点であり弱点は好きなものを好きなだけ見れるけどほかの情報は入れないでおこうと思えば一ミリも見なくていい

・奨学金とか借金とかシンプルに収入が低いとかでそんなんに興味を持ってる暇がない

まあこんなもんじゃないけどさ、悪循環でしかないわけよねえ。例えばなにかすごい若者の興味を引くようななにかをメディア側が打ち出せたら多少は変わるかもしれへん。例えばZEROに櫻井くんが出てるのはめちゃくちゃいいことで、数字が稼げるわ、オタクは推しが見れるわ、多少ニュースを見る機会があるだけでだいぶ知識広がるきっかけになると思う。

もうまじ白紙とかでいいから投票率あげなあかんのはさすがに浸透してほしい。自分が政治興味あるかとか、政府と関係あるかとかないかとかじゃないねん。若い人投票してるわ!ってなるだけで議員の人も若い人がより得するような政策をきっと打ってくるねん!だって落選したらその人無職やし。そら数字取れそうな方に媚びるにきまってるやん。そこでじじばばへの投資よりも教育とか保育とかに金かけよ???ってなれば色々変わるのになあ。少子化とかにも多少影響あるやろし。はあさっさとオンライン投票導入してくれいい加減。

最終的には何事の根本にも教育が関わってると思ってて。例えばネトウヨとかワクチン反対主義とか、教育と社会的環境が大いに影響してる訳やん?ネトウヨは社会的立場が低い故に当たるところがない事に昔から存在する差別主義をマリアージュして思想・発言の自由を履き違えた「正義」とネット特有の匿名やからなに言っても責任を取らなくていいっていう発想と一緒にぐっちゃぐちゃに煮込んだ結果やん。ネットリテラシーはどっちにも言えることやけど、なんの根拠もない情報を羅列したアカウントとかを信じてしまってたりするのも社会と教育の産物ちゃうかなって最近思い始めた。性差別とか政治的関心もそうやけど、まあ例えば考えたり想像する力やったり、他人の話している言葉の意図をくみ取ることができる文章読解能力とかが養われるとだいぶ違うんちゃうかな。その場で覚えてれば勝ちな暗記至上主義の変革とか、変えられる、変えるべきポイントは山ほどある。こういうのを変えていけばきっと就活とかの形も変わってくるし、いろんなことに多いな影響を与えてくれると思う。ただ先生も先生でかわいそうなわけで。決して高いとは言えないお給金で一日中働き、謎に部活の顧問までさせられ、プロとは言ええげつない仕事量をこなさないといけない状態で教育現場の改革?苦労も知らんでほざくな。と言われても仕方ないですよ。だからやっぱりお金やねん。多少の余裕が持てるぐらい(あと仕事量に見合った)賃金にアップしたり部活顧問外注とか、公務員やからこそできる政府からのサポートが圧倒的に足りてないように見える。でも国家予算がそこに割り当てられないと結局お金を出したいと仮に思った人がいてもそれ以上進まず、結局未来の子供らの脳細胞に貢献できたかもしれないお金が年金に回っていくわけよ。年金が悪いわけじゃないけどさあ、まあわかるやろ?とにかく投票大事!

えーと、何の話やっけ????

ていうかこれを一個のツイートにまとめようとした私が完全なるあほでしたわ。できるわけないやん。さすがに寝ます。(4300文字 およそ10.75原稿用紙分)

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