日本の歴史(近世(江戸時代))

お疲れ様です。
前回は中世(鎌倉時代~安土桃山時代)をまとめて、今回はいよいよ武士の時代である中世を追いかけていきます。中世のあらすじを簡単におさらいしてから本題に入ろうと思います。宜しくお願いします。

・中世(鎌倉時代~安土桃山時代)のおさらい

中世は一言で言えば武士の時代でした。
(鎌倉時代)源頼朝が征夷大将軍に任命されて鎌倉に初めての幕府を開き朝廷に代わって政権を握っていきます。終盤に元寇によって大きなダメージを受けて、最後は御家人・足利尊氏の裏切り(天皇側についたこと)によって幕府が滅びます。
(室町時代)一瞬だけ天皇に政権が移りますがすぐに足利尊氏が京都につくった幕府に代わります。この時代は乱世に始まり、文化が開きますがまた乱世に終わります。
(安土桃山時代)世の秩序が乱れ下剋上の風潮が強まり、全国各地で戦国大名たちが天下統一を目指して戦うようになります。その中で、天下人である織田、豊臣、徳川といった大名が日本統一に向け活躍していきます。

・江戸時代

徳川家康像(「Wikipedia」より)

徳川家康が江戸に幕府を開いた江戸時代は約260年の太平の世をもたらします。しかし、その間に財政難や外国からの圧力等によりやがて崩れていきます。江戸時代の長い歴史を、独断で①創成期(家康~家光までの江戸幕府の体制をつくる期間)、②安定期(それ以降~外国の圧力(ペリーの来航)を受けるまでの期間)、③終末期(外圧を受けて江戸幕府滅亡までの期間)に分けてみてお話します。

①創成期(江戸幕府の体制をつくる期間)

参勤交代の様子(「Wikipedia」より)

徳川家康の江戸幕府を開いた後の動きを追っていきます。まず豊臣家の生き残りが脅威になる前に大阪の陣で息の根を止めました。その後、大名統制を行う為に一国一城令や武家諸法度を出します。同様に天皇家や朝廷も統制する為に禁中並公家諸法度も出し徹底します。江戸幕府と言えば鎖国のイメージが強いですが最初期は朱印船貿易を行う等、積極的に外交を行っていました。
その後の2代目・秀忠も3代目・家光も家康の路線を引き継ぎ、武断政治を行うことで幕府の支配を固めていきます。主な政策としては巧妙な大名配置、参勤交代、幕藩体制の完成といったものが挙げられます。この頃から外交に対して、キリスト教の流入(及び西洋諸国の侵入)を危惧して禁教令を出し鎖国(幕府が開いた松前・薩摩・対馬・長崎だけを窓口として貿易を行うこと)をするようになります。

②安定期

江戸時代の貨幣・寛永通寳(「Wikipedia」より)

安定期と書きましたが、その後の幕府が安定していたかと言うと何度も財政難等の対応に苦しめられていくことになります。まずは明暦の大火という大火災による財政悪化(この火事で江戸城・天守閣も焼失し現在まで再建されず)が挙げられます。もう一つの財政悪化の根本的な原因に「米」と「お金」という2つの貨幣が共存していてバランスが崩れると混乱が起こる構図となっていたことでした。
これら財政難に対して将軍・老中たちで対応を行っていきます。有名なもので「享保の改革」(徳川吉宗)や「寛政の改革」(老中・松平定信)、「天保の改革」(老中・水野忠邦)といったものが挙げられます。

③終末期

ペリー提督一行初上陸の図(「Wikipedia」より)

江戸時代の終盤に海外に目を向けると、西欧列強が産業革命を果たし海外進出を強めていた時期でした。日本への進出も例外では無く先ずペリー(アメリカ)が黒船4隻を引き連れて開国を要求してきました。幕府は圧力に負けついに条件を飲み開国を認めます。すると、イギリスやロシア等とも不平等な和親条約を次々と結びます。
上記のような中、国内で「尊王攘夷」思想が強まり倒幕運動が大きくなっていきます。討幕派の主な主役は長州藩と薩摩藩です。どちらも海外と戦った経験があり討幕派でしたがお互い対立していました。その間を土佐藩を脱藩した坂本龍馬が仲介し薩長同盟を結び倒幕に動きます。
その動きの中で、最後の将軍・徳川慶喜は「大政奉還」(政権を天皇に返上)の案を飲み、それを朝廷に提出して江戸幕府に幕が閉じます。その後も徳川家が実権を握るつもりでしたが討幕派(薩摩・長州)の公家がそれを阻止する為に「王政復古の大号令」を行い天皇中心の新政府を樹立したのです。これに反発した旧幕府軍と新政府軍の戦い(戊辰戦争)が起こりますが、新政府軍に軍配が上がり明治時代の幕開けとなります。

・おわり

最後まで読んで頂きありがとうございました。以下の資料を参考にさせて頂きました↓

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