西洋の建築史(古代)
古代の西洋建築史では、ギリシャとローマを扱います。その歴史は別の記事で書いておりますのでお時間宜しければそちらもご覧くださいませ。
・古代ギリシャ
・時代:紀元前7~前1世紀頃
・特徴:①まぐさ式、②オーダー、③ペリスターシス、④孤立した神殿、⑤プロポーション、⑥彫刻
①まぐさ式構造:垂直に立ち並ぶ円柱とそこに水平に渡された梁から構成された構造が基本的。
②オーダー:構成は、ベース(柱礎)、シャフト(柱身)、キャピタル(柱頭)、エンタブレチェアから成る。オーダーにはドリス式、イオニア式、コリント式があり、それぞれが独自の比例体系と象徴的な属性を持つ。
③ペリスターシス:1列または2列に並ぶ円柱のことで神殿の外周を囲み構造的には支持材の役割を担う。
④孤立した神殿:ギリシャの神殿は崇拝する神々の像を収蔵する聖なる場としてつくられた。神官以外の立ち入り以外はほとんど無く、孤立していて遠くから臨むものが多かった。
⑤プロポーション:建築は厳密な比例関係で秩序付けられ、それに基づいて平面と立面の両方が決定された。またオーダーの選択とそのサイズによって、すべての規模や比率が決められた。
⑥彫刻:神殿の内部やペディメントの頂部にはアクロテリオンと呼ばれる立像の彫刻が置かれることが多かった。また、古代の建築言語としても一般的に使われていた。
・著名な建築:ヘラ神殿(パエストゥム・イタリア)、リシリシクラテス記念碑(アテネ・ギリシャ)、ゼウス神殿(キュレネ・リビア)、コンコルディア神殿(アグリジェント・シチリア)、パルテノン神殿(アテネ)、ゼウスの大祭壇(ペルガモン)
・古代ローマ
・時代:紀元前1~紀元後4世紀頃
・特徴:①アーチ、②壁面、③オーダー、④ヴォールトとドーム、⑤記念碑的位置づけ、⑥新たな建築形式
①アーチ:単純なまぐさ式構造よりもはるかに大きなスパンをとることができるアーチは多くの建造物に使用された。ローマ建築を特徴づけるもの。
②壁面:ローマ神殿では、ギリシャ神殿と異なり、一般的に柱廊はあまり重視されず建物側面の立面にその特徴が顕著だった。壁に柱が埋め込まれる疑周柱式(プセウドペリプテロス)といった形式も。
③オーダー:環境の変化や新たな用途に合わせて、古代ギリシャ建築のオーダーを改変しさらに充実させ、新たにトスカナ式とコンポジット式をレパートリーに追加した。
④ヴォールトとドーム:どちらもアーチが幾何学的な基礎となっている。いずれも天井や屋根として効果的な役割を果たしただけでは無く、その幾何学的に純粋な形状自体に象徴としての大きな意味が込められていた。
⑤記念碑的位置づけ:建築物はローマ帝国の権力と威信を誇示するために非常に重要なものであった。凱旋門等は戦争の勝利した記念して建設されたものが多く彫刻の装飾も重要な意味を持っていた。
⑥新たな建築形式:フォルム(公共広場)やヒッポドローム(競技場)等、新しい建築形式を数多く生み出した。また、楕円形の平面や建物外周に積み重ねられたオーダーも独自の建築形式だと言える。
・著名な建築:ポン・デュ・ガール(ニーム近郊・フランス)、メゾン・カレ(ニーム・フランス)、サトゥルヌス神殿(ローマ・イタリア)、パンテオン(ローマ・イタリア)、コンスタンティヌスの凱旋門(ローマ・イタリア)、コロッセウム(ローマ・イタリア)
・まとめ、考察
ギリシャは地中海に面する小高い丘に神殿を中心として建造物が次第に建てられた都市国家であった。その明瞭な気候と美しい地中海の景色を目にすることによって自然の中に美しいプロポーションや合理性・秩序を見出し建築や彫刻に反映していったのだと考えられる。また神殿の場所・配置等は多神教であるギリシャ神話との繋がり等が考えられる。神殿が孤立している理由は多神教の日本と同じように聖と俗を離す考え方があったのかもしれない。
ローマは、ギリシャの建築等から影響を受けているが異なっているのはギリシャの支配が点で広がっていったのに対して面的な広がり方をして、インフラが整い大きな都市が出来ていたことだと思う。そこでモルタルやレンガ等の圧縮に強い材料を生み出し、アーチを利用した合理的で巨大な建造物を造り出した。神殿や凱旋門に関して、ギリシャ建築との違いは象徴性や高さへの憧れだと思う。それは皇帝の権力を示す為とか一神教(キリスト教)の影響かもしれない。なんて、勝手な考察をしてみた。
・おわり
最後まで読んで頂きありがとうございました。こちらの記事は以下の書籍を参考にしております↓
「名建築の歴史図鑑 オーウェン・ホプキンス(百合田香織 訳)」
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