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この世に生まれてきた意味 修行編

こんにちは

ほぐしびとwordsです。

今回は私の能力を知った母が見えない世界の修行を共にする事になった経緯をお話します。

私の能力を母が知ったのは引っ越して来た初日だ。私が見えている世界が母と一緒だと言うことを。

私には人には見えない人が見える。7本のしっぽを持ったキツネが私を動かす。友達の心の声が聞こえる。ある時友達が不安げな顔で『いいよ』と言っていた。だけどすごく泣いているように見てた。私はその子に『なんで泣いているの?』と聞く。泣いてないのに。心が泣いてるのが見えたのだ。

ある日私はいつもの所定の位置で膝を抱えて座っていると母が『日曜日行くよ』と言い出す。兄は『俺は?俺も行きたい』に『お母さんのお勉強のだから、お父さんとお留守番していてね』と抱き締める。兄はニヤリと私の顔を見て勝ち誇った顔。私は母と二人だけと言う方が恐怖だった。私の中の小さい箱がガタガタと鳴り出す。決して開けてはいけない箱。

日曜日某所にある滝で滝行をする。私は白い服と足袋を履き、山を歩かされる。真冬の滝に大人達が次々と滝に打たれに行く。普通にしてるだけでも寒い。寒いを通り越して痛い。皮膚が凍る。なのに滝に打たれるのだ。母は言う。邪心をなくすため。浄化のためと…何を言ってるかわからないが周りの大人達は何やら呪文?お経?を唱えて気合いをいれている。さっぱりわからなかった。自分の番が来た時に開けてはいけない箱が空いた。私ではない私が暴れ出したのだ。大人達は私を押さえ込んで滝に連れていった。私は叫ぶ『しね』と。私じゃない私が出てきてしまった瞬間だった。

毎週日曜日が大嫌いだった。修行の日だからだ。滝行だけではない。水行、座禅、瞑想、写経、読経。どんなに修行しても私の中のものはおさまらなかった。かえって悪い方に進んだ。

愛があって意味がわかってする修行であれば私は受け入れただろう。私にはいじわる、虐待としか受け止めれなかったのだ。だからなのか…今まで見えていたものよりも恐ろしいものが見えるようになっただけ。地獄だ。こんな日曜日が10才まで続く。私は逃げることを覚えた。母は私と共に学ぶことを諦めるしかなかった。変わらない私に嫌気が指しただろう。いつまでも懐かない、かわいくない、汚い私に。

私はただただ愛されたかった。抱き締めてほしかっただけ。包まれたかっただけなのに。こじれてしまった関係はいつまでもほどけない。でも…修行をしたからこそ今の私がいます。苦しみを知ったから寄り添える。愛を語れる。ありがたいことだ。

この修行編は書いて保存しても次の日には消されていた。それが3,4回続いた。何かの力が働いたのだろう。もっとスゴい内容でしたが…ダメみたいです。お詫び申し上げます。

本当は全てをさらけ出したい。それが出来ないもどかしさがあります。

次回は小学低学年編です。読んでいただきありがとうございましたm(__)m

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