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幼児らしい幼児時代を過ごせていない

モノ覚えがついたときから小学校低学年くらいまでは、近所のお兄さんたちと遊んでいた。一番年の離れたお兄さんだと7歳くらいは離れていたような気がする。
3歳と10歳では、だいぶ差がある。それでも一緒に遊んでいた。特に有利にしてもらえるわけでもなかったので、年上の人達と同等の条件で遊んでいた。

そういう環境で幼少期を過ごしていたので、同じ年齢の人が集まる小学校くらいになったときに勉強とか考えるスピードが他より確実に早かった。しかも勉強に至っては5歳上の姉の真似をして勉強していたので、小学校入るときには掛け算くらいはできるようになっていた。

つまり基準が実年齢よりも確実に上の状態で幼少期を過ごしていた。

幼稚園のときにサンタクロースはいないと知ってたし、ウルトラマンや戦隊モノは特撮で中身がおじさんと思ってたので、興味なかった(まわりの話題についていくために一応、見てはいた)。

絵本を読んだ記憶がほとんどない。幼稚園のときの愛読書はキン肉マンだったし、ジャンプを読んでた。マンガで漢字を覚えた。

ファミコンが幼稚園のときに発売された。周りの小学生のお兄さんたちが買っていたので、僕も買ってもらった。幼稚園のときにファミコンの麻雀してた気がする。

おかげで、幼児らしい幼児時代を過ごせていない。

欠けた月を見て「今日のお月さま、誰か食べちゃったの?」と本気で質問してきた4歳の娘を見て、かわいいなと思いつつも、こんなこと考えたこともなかったな、想像力豊かだなぁと思った。

勉強はできたけど、想像力(感性)は豊かじゃなかった。こどもらしい発想が苦手だった。小学校の時の俳句をつくりましょうという授業で何もかけなかったのは今でも覚えている。情緒的に何かを感じて表現するという経験が乏しすぎた。

基準は大事。周りが作った環境の基準に身を任せると、意図した能力を伸ばせなかったりする。
とりあえず今まではどうにかなってきたけど、社会人は、結果論としてよかったね、ではなく、意図した結果を出してから、よかったねと言えるように、意識して自分のための基準作りをしていかないといけないなと思った。

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