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【ショートショート】夜景国家

 居間のコーヒーテーブルで遅い昼食を摂りながら、私は無感情に窓の外を眺めていた。

 現在時刻は午後二時四十分だが、外は真っ暗で闇に包まれている。
 街には無数の街灯が浮かび、大通りを行き交う車はどれも例外なくライトを点けている。
 アパートメントの十二階の一室から見える、いつもの光景だ。

 昼間の時間なのに外が夜のように暗い理由ーこれは私の住む都市、ブライトシティが巨大な円盤の影に覆われているためだ。
 そのあまりにも巨大過ぎる円盤は、グリームランドの四分の三の国土に当たる影を上空から落とし続けている。
 これまでの十三年間、三百六十五日、二十四時間、夜が恒常的に維持されているのだー私たちの意思とは無関係に。
 グリームランド、通称〈夜景国家〉の大きな特徴である。

 電話が鳴った。私はフォークを皿の上に置き、固定電話の受話器を取った。「はい?」
『これは忠告だ。今すぐグリームランドから脱出しろ』三十代ぐらいだと思われる、聞き覚えのない低い男の声だ。
「あなたは誰? 一体何を言ってるの?」
『俺の言う通りにした方がいい。でないと君は必ず後悔するぞ』
「ちょっと待って、わからないわ。あなたは誰なの? どうして私に母国から脱出しろなんて言うのよ?」
 電話口の向こうから、男の溜め息が小さく聞こえた。『素性は明かせない。研究者とだけ言っておこう。いいか? 今から二十三時間以内に、円盤はグリームランドに攻撃を開始する。そうなれば、この国の壊滅は免れない。当然、あんたの命もそこでお終いだ」
 私はつい声を上げて笑ってしまった。「悪戯電話にしてはジョークのセンスがあるわね」
 理由はわからないが、男の重苦しい沈黙が電話口から伝わってきた気がした。『忠告はしたからな』そうして通話は終了した。

 *

 本物の夜の時間帯なら、この都市が円盤の影に覆われている状況に対してあまり違和感を抱かないだろうと、あなたは思うかもしれない。
 だけど、絶対に月も星も見えない夜なんて、あまりにも虚しいのだ。

 それなのに、私はずっと長い間変わらずここで暮らし続けている。私はそれほどの熱心な愛国者なのだろうか? 自分でもよくわからない。

 スーパーマーケットでディナーの買い出しを済ませた後、駐車場に停めた車に乗り込んだ。
 エンジンをかけた時、数時間前の電話の男との会話を思い出した。『忠告はしたからな』。

 車を運転しながら、ふと私の中に一抹の不安がよぎった。
 もしもあの男の言ったことがただの与太話ではなく、客観的な根拠に基づく主張だったとしたら?
 十三年間、我が国の領空に浮かび続けている円盤。グリームランドの四分の三の地域に二十四時間、夜をもたらすというおかしな性質以外は全くの無害である。
 攻撃はおろか、動いたことすらないのだ。静止した状態をずっと保っている。

 私はカーラジオから流れる音楽のリズムに合わせて、ハンドルに右の人差し指をトントン、と叩き続けた。
 にしても、と私は口に出して言った。彼の言った話が仮に本当だったとしても、それをなぜわざわざ私個人に教えるのだ?
 私の知り合いに研究者はいない。昔の恋人にだって。
 わからない。こんなに重大な情報は、通常なら政府が発表するはずだと思うのだけど。
 まあ、いい。男の動機を考えるのは一旦後回しにしよう。

 円盤が攻撃するまでのタイムリミットは、残り十九時間か。
 もちろん、私は男の話を信じたわけではない。だけど、その話が本当だったと実感する時、私はどれだけ後悔するだろう? いや、後悔する暇さえないのかもしれない。

 それならば、一度男の言った通りに国を出てみるのも、悪い選択ではないはずだ。
 そうだ。長らく旅行には行っていないわけだから、いい機会だと思えばいい。

 私は電話の男の忠告をそんなふうに解釈し、十九時間以内の行動の方針を取り決めた。

 それからアパートメントに帰宅し、買った食材を冷蔵庫に収め、簡単なディナーを口にし、旅行カバンを引っ張り出し、支度を整えた。
 そうして私は車に乗り、東に向かって出発した。目指す先には、国境がある。

 円盤がグリームランドを消し去ったことを知ったのは、翌日、滞在先のホテルでテレビを観ていた時に流れた速報からだった。


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