見出し画像

あの時の不条理と小さな社会の同調圧力

 これは僕が小学6年生の時の実話だ。遡る事、今からおよそ10年以上前の出来事になる。

 事件は6年2組の教室で起きた。それは、下校直前の恒例行事である「帰りの会」の際に発生した。

 運動会という一大行事を終え、あと数日経てば夏休みといった時期。
小学生ならば、誰もが浮かれた気分になる事はもはや避けられない時期だ。

 そんな子供達の熱気と夏の気温が融解して、教室内は独特の空気感に包まれていた。

 そして帰りの会の最中、担任の教師が突然とある発表をした。
教師(彼女は30代前半の美人な女性だったが、やや性格に難点があった)は教壇の上に、一枚の大きな写真を立てるように置いた。

 その写真は、縦30センチ、横40センチ程度のサイズで、運動会当日に6年2組のクラスで撮影した集合写真だった。

 教師は、その集合写真をクラス全員に見えるように掲げて、「この写真欲しい人っ」と片手を挙げて呼びかけた。
俗に言うコール&レスポンスだ。

 写真はちょっとした絵画のようなサイズだし、ランドセルにも入らないから、持って帰るには難儀な話に思えた。
それに、だいたいクラスの集合写真の何がそんなに良いと言うのだ?きっと手を挙げる生徒は、せいぜい数人程度だろう。
教室の最後尾の席に座っていた僕は、それなりに冷めた予測を立てていた。

 しかしそんな僕の予測とは裏腹に、それに対するレスポンスは凄まじかった。
なんと、教室中の誰もが「はい!」「はい!」と一斉に手を挙げ出したのだ。

 その熱狂の中で、僕は一人戸惑いを憶えていた。皆、こんな物が欲しいのか?と。
教室内の反響は、さながら野球場が放つような勢いのある熱気を帯びていた。僕はすぐに居心地の悪い感覚に見舞われた。
まるで客席で僕以外の周囲の全員が同じ球団を応援している中、僕一人だけが対戦相手の球団を応援しているような、そんな感覚だ。

 教室中の誰もが狂喜乱舞のように手を挙げている。そのような状況に立たされる中でも、僕は頑なに手を挙げなかった。
その理由は至ってシンプルだ。単に必要なかったのだ。

 教師は、クラスの殆ど全員が写真を欲しがっているという事実に、幾分満足そうだった。自分の呼びかけに、期待通りに応えてくれる生徒達。
彼女はそのような状況に、一種のカタルシスを得ていたのだろう。その事は、教室の最後尾の中央の席にいる僕からよく分かった。

 写真の内容は先述の通り、僕ら6年2組の生徒達が運動会当日に撮影した集合写真だ。そして写真の中では、生徒達がクラスの一貫したスローガンを書いた弾幕を掲げている。

 そのスローガンとは、次のようになる。『何でもやります!はい喜んで!』
奴隷だ。まさしく奴隷そのものではないか。

 いや、このスローガンの方針に何の疑問を持つ事も無く従うとするならば、それは精神的に完全服従している状態を指すため、奴隷よりも余計にタチが悪いのかもしれない。
小学生というのは、大人と比べれば倫理観や善悪の判断力を適切に備えているとは言い難い。だから、担任の教師の言う事やなす事に対して、何の疑問も持たずに迎合したって何ら不思議な事ではないのだ。

 僕自身、個人的に不快な出来事は記憶の彼方に忘却しようとする傾向があるので、定かな事は言えないが、実際この『何でもやります!はい喜んで!』という教訓に沿った強制労働を何度かやらされていた事だろう。

 しかし周囲の級友達は、この教訓に何かしらの抵抗感を見せる素振りは普段からなかった。そのため、当時の僕もそれに対する反発を口に出す事は無く、いつの間にかそれをクラスの普遍的な象徴として捉えていた節があった。

 しかし今振り返れば、やはりこれは異常だ。まるでこの教訓は、独裁政権が民衆に対して思想を強制的に従わせるような理不尽さがある。

 数秒経っても、やはり僕は手を挙げなかった。きっと僕は、教室内のマジョリティな意見に流される事に疲れ切っていたのだろう。
それとは対照的に、皆一様に快活に手を挙げる生徒達。その際僕は、ここに共産主義国のように社会的に支配された構図が成り立っているように思えた(その当時は、共産主義という言葉は知らなかったのだが)。

 教師が呼びかけ、級友達が一斉に手を挙げ出してからおよそ7、8秒後、教師の顔つきが変わった。彼女の意向(威光)に背いて、手を挙げようとしない反逆者を見つけたのだ。
その反逆者こそ、この僕と、左端の前方の席に座っていた僕の友人の一人だった。僕ら二人だけが写真を欲しがらなかったのだ。

 僕の席は最後尾に位置しているが、教壇と直線距離上にあり、その友人(友人Hと呼ぶ)にしても比較的教壇の付近にいるため、すぐに見つかってしまったという訳だ。

 僕と友人Hは、その場で教師に名前を呼ばれ、それと同時に一瞬にして教室内は静まり返った。先程の熱気など嘘だったかのように、周囲の空気は急速に冷めていった。

 確か、「あなた達のような人間が周りの空気を壊すの!」とかそんな類の事を教師は言った。今まさに、その空気を壊したのは先生の方ではないか?と僕は内心思ったが、当然それを口に出す事は無く、僕は黙って教師の説教を聞いていた。

 教室内では教師の声だけが響き、級友達の注目は僕と友人Hの二人に集まった(教師が怒り出すと、教室内が急に静まり返るというのは、もはや絶対的な法則と言える)。

 その時の級友達の心情について正確な事は断言できないが、皆の楽しい時間(僕にとっては茶番だが)を中断してやがってという非難の感情が込められていたのかもしれない。

 皆の注意が僕ら二人にある中、教師は他にも別の言い方で僕らを叱責した。それはまるで、独裁者・スターリンの恐怖政治のようだ。大衆の中でその反逆者を吊し上げるという行為は、独裁政権の遂行する恐怖政治と通じるものがある。

 それから教師は、僕と友人Hに廊下に出るように指示した。スターリンの粛清開始だ。
僕らはそれに抵抗する筈も無く、仕方無く席を立って、扉まで歩き出した。さすがにこれ以上事を荒立てたくはないので、ここは大人しく従わざるを得ないだろう。

 扉に向かって歩いている最中、僕は自問した。一体どうして手を挙げなかったというだけで、僕はこんな状況に立たされなければならないのだ?と。僕の事なんか無視して、そのまま続けていれば、滞り無くイベントは進んだんじゃないのか?
そんな行き場の無い疑問が僕の頭を駆け巡る。前方で僕と同様に扉まで歩いている友人Hも、似たような事を考えていたのだろうか。
級友達は、僕らが教室を出て行く間も沈黙を貫いていた。

 扉を開け、廊下に出ると、そこで教師と友人Hが僕の到着を待っていた。教師は怒気を滲ませた表情を、友人Hは悲壮な表情をしていた。そして僕は憂鬱な表情をしていた。
 
 僕ら3人は、6年2組の教室の前の廊下で暫し黙って立っていた。やがて教師が口を開く気配があった。これから説教という名の粛清が始まるのだ。

 教師は友人Hに顔を向け、「どうして手を挙げなかったの?」と尋ねた。最初の粛清対象は友人Hかららしい。
彼はか細い声で、こう答えた。「自分が写ってなかったから、、、」
そうだ。彼は、その集合写真が撮られた運動会当日を欠席していたのだ。だから写真に彼の姿は無いし、自分の写っていない写真など欲しい筈が無い。大いに納得のいく返答だろう。

 しかし教師はその返答に多少の理解を示しながらも、それでもあの場では周りに合わせて手を挙げるべきだの、いかにも不条理な事を言って彼を叱咤した。

 友人Hが説教を受けている間、僕は表面上は冷静さを保っているつもりだった。
しかし実際のところ、僕の心拍数は上昇し、喉はからからに渇いていた。内心は極めて焦っていたのだ。
何故なら僕は、あの集合写真の中にちゃんと写っているからだ。友人Hのように、写真を欲しがらない正当な理由が僕には無いのだ。
だから僕は、教師が納得するような返答を持ち合わせてはいなかった(しかし正直な話、今でも何に対して怒られたのかをよく理解できていないのだが)。

 教師が僕を差し置いて、友人Hを説教する最中、僕の鼓動はどんどん早まっていった。
なるほど、一人ずつ説教(粛清)をしていく事で、次の粛清対象に恐怖心を増幅させるという手口らしい。
上手いやり方だ。実際、僕には充分に効果があった。彼女はおそらく、友人Hの手を挙げなかった理由を把握した上で、意図的に僕への粛清を後回しにしたのだ。

 とにかく僕は、今すぐに正当性のある理由が欲しかった。友人Hが説教を受けている間、僕は必死に頭を回転させて、実在しない理由を模索していた。虚偽の返答になろうと構わないから、最もらしい理由を渇望していたのだ。
この状況で、「単に要らなかったから」などと到底答えられる筈が無い。

 どうやら友人Hの説教が終わったようだ。さぁ、今度は僕の番だ。教師は僕の方に顔を向けた。友人Hも僕を窺っている様子だ。教師だけでなく、彼も僕がどのような答弁をするのかを気になっているのだろう。

 その事は教師も当然理解の上だ。彼女の僕を見下ろす表情には、こう書いてあるかのようだった。『あなたは写真に写っているにも関わらず、決して手を挙げようとしなかった。一体どうしてでしょうね?』
教師の僕に対する表情は、友人Hに対するそれよりも明らかに厳しくなっていた。

 そして教師は訊いた。「あなたは写真に写っているわよね、どうして手を挙げなかったの?」
その語気には当然のように怒りが滲んでいた。

 ついに僕は、教師が納得するような理由を提示する事ができなかった。僕に残された道はただ一つ、無条件降伏だ。
僕は俯き、小さな声で、「すみませんでした、、、」と言った。
一体この僕は何に対して謝っているのだろう?
しかし、謝罪は決して悪い手ではない。こういう場合は、本心とは関係無く、手っ取り早く自分の非を認めてしまうのが合理的な解決策になり得る。わざわざ余計な反論を言って、相手の機嫌を損ねれば、さらに立場が悪くなるのはこちらの方なのだから。

 しかしスターリンは許してはくれなかった。さすが血も涙も無い冷酷な独裁者だ。彼女は友人Hの時よりも、さらに強い口調で僕を叱責した。
具体的にどんな事を言われたのか、よく覚えてはいない。僕も友人Hと同様に、周囲の楽しい空気に亀裂を走らせるような事はするべきではないという類の事を言われた気がする。そして僕に対する彼女の説教は、友人Hにした以上に厳しい内容だった事は確かだろう。

 教師は様々な『言葉による暴力兵器』を僕に振り下ろした。そして僕はそれらを全て聞き流していた。
普段から興味の無い話は無意識に聞き流す癖が僕にはあったため、実質的に僕は彼女の『言葉による暴力兵器』が与える精神的なダメージを受ける事は無かった。
しかし僕は、不条理な事で説教をされているという、これまでの包括的な状況に対する精神的なダメージを被っていた。平たく言えば、僕は傷ついていたのだ。

 廊下に教師の声だけが響く中、僕の脳内ではあらゆる反発的な観念が渦巻いていた。
僕の手を挙げないという行為は、わざわざ廊下に呼び出してまで叱りつける程の事なのだろうか?
そもそもクラスの行事というのは、参加したい人間のみが参加すれば良い筈だ。どうして同じクラスに所属しているというだけで、全ての生徒が共通した考えを持っていなければならないのだろう?そこに民主主義の精神は一切無かった。
教師の利己的な正義感を引用するならば、生徒という民衆の世論は隈なく統一されなければならないのだ。教師の築いたクラスという名の王国の方針に反発する者は、ご覧の通り糾弾されるという構造になっている訳だ。

 僕は様々な感情が込み上げるのを必死に押さえ込みながら、教師の話を聞き流していた。
おそらくクラスの連中は、彼女の説教を聞き耳を立てて聞いているのだろう。教室は統率の取れたように一切物音がしていなかったから、その事は何となく推察できた。

 やがて僕に対する説教は終わりを迎え、僕と友人Hは教室に戻され、僕らはそれぞれの席に座り直した。

 教師は再び教壇に立ち、例の集合写真を提示した。そして先程と同じ台詞を再び口にした。
「この写真欲しい人!」
すると、今までの沈黙を切り裂くかのように、教室内は再び熱狂さを取り戻した。やはり先程と同様に、教室中の人間が一斉に手を挙げ出す。

 僕も仕方無く手を挙げた。仮にここで僕が手を挙げなかったとしたら、僕は本当にクラス中を敵に回してしまうかもしれない。教師をさらに数段階先まで、激昂させる危険性だってある。
だから、僕の手を挙げるという行為はあくまでも、生徒の個人意思が淘汰されるような理不尽な状況に身を置かれていると理解した上で、あのような面倒を二度と被らないための便宜的な措置に過ぎないのだ。
左の前方に座っている友人Hも、仕方無いといった感じで手を挙げていた。

 教師は、今度こそクラス全員が挙手をしたという状況に満足したらしく、話を進めた。
彼女はたった一枚の集合写真を獲得するためのルールを説明し始めた。それは、生徒達が一斉に彼女とジャンケンをしていき、最後まで勝ち残った一人が、その写真を獲得する事ができるというシンプルな内容だった。

 教師の掛け声と共に、ジャンケン大会が始まった。彼女が「最初はグー」の常套文句を言いながら片腕を上げると、クラス全員も同様に片腕を振り上げ出した。
僕もその例に漏れず、彼女に再度廊下に立たされないために、やむ無く参加していた。見ると、友人Hも片腕を上げて参加していた。
彼に関しては本当に不憫だ。自分が写っていない写真など、彼には文字通り必要の無い代物だし、それを手にしたところで何かしらの意義があるという訳でもないからだ。

 僕はそのジャンケン大会に、すぐさま脱落する事に成功した。というのも、教師が繰り出した最初の手の形を素早く見極めて、その直後に僕はその手に負ける手を出したのだ。
僕の教師に対するささやかな抵抗だ。僕が意図的に脱落したかどうかなんて、判別できる筈も無いので、文句を言われる心配も無いという訳だ。教師は2回目のジャンケンを始めた。

 この瞬間、生意気で反抗的な僕は勝ち誇ったような気分だった。僕は自らの意思で敗北を選んだ。しかし精神的には、この教室内の同調圧力に屈する事は無かったのだ。
不条理な屈辱を味わった後の僕のこの行動は、本当に愉快だった。それは、彼女の言葉が僕の心に一切響いていない事を意味するからだ。

 このように、廊下に呼び出されてまで説教を受けた後でも僕は、何の反省も改心もしていなかった。次からは上手く立ち回ろう。そう思っただけだ。

 教師が繰り出した手により、敗北して落胆する者、反対に勝利して歓喜する者、様々な声が教室内に響いていた。
僕はその様子をただ退屈そうに眺めていた。

 そして、ジャンケンによるクラスの写真争奪戦は、最後の勝者を残して終わった。写真を手にしたのは、僕の友人の一人、友人Oだった。
 
 僕は友人Oとは仲が良かったので、よく彼の家でテレビゲームをしたりして遊んでいた。そして今回の事件以降、彼の部屋の壁には、そのクラスの集合写真が貼られてあった。だから僕は、彼の家に遊びに行く度に、この苦い思い出を否が応でも思い出す事になるのだった。

 最後に、どうしてこのような不条理な事件が起きてしまったのか、少しばかり分析してみよう。全ては想像の範疇を超えない推論に過ぎないが、大方は間違ってはいない筈だ。

 まず、教師というのはその職業的な性質から、教室という小さな社会の中で絶対的な権力を握っていると錯覚してしまうような傾向がある。生徒は自分を協賛しなければならず、反対に自分に楯突くような反乱分子は弾圧しなければならないと思い込んでいるのだ(今回の出来事がその良い例だ)。

 一方、僕自身は権力の象徴のような教師という存在が昔から嫌いだったし、反抗的な態度を取る事もあった。そして、やはり今でも僕は教師や文部科学省といった子供に権力を振りかざすような存在は好きではない(大学の講師は別だ。彼らは余計な倫理や規範を学生に叩き込むような事はしない)。

 今回の事件のように、教師は自分の意見や方針に賛同しない生徒に対して黙っている訳にはいかず、公然と他の生徒達の前で糾弾しようとするのだ。この行為は、教師に逆らえば、次は自分がそうなるという事を他の生徒達に理解させる役割を果たしている。

 そして、そのような教師の気質が、教室内に蔓延る同調圧力の空気を作り出していく。子供の頃からそのふざけた体質に馴染む事を強制されるなんて、我が国は本当に教育のレベルが低すぎると思わざるを得ない。

 小さな社会における同調圧力を教師が先導して作り上げ、その潮流に生徒達を従わさせる。そして、そのような空気に対する否定的な考えを決して許さない全体主義の思想が、今回のような不条理を生み出していくのだ。

 僕はこの経験は、周囲の考えや空気に流されず、自分が正しいと信じる生き方を貫くという精神性を得るための一つの遠因となってくれたような気がする。
周囲と同じ考えを持つ事が常識とされる全体主義の思想の中で、僕はそれに染まる事無く、民主主義を決して忘れなかった。

 だから僕は、今回の出来事を肯定的に受け止めている。何故なら僕は、この経験によって精神的に一つ成長する事ができたし、こうして文章に起こしてエンターテイメントに仕上げる事ができたのだから。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?