極私的文献紹介:”粘性適応”とは何ぞや?

我々人間のような恒温動物はあまり心配する必要がないかもしれないが、細菌や酵母のような単細胞生物は、周りの温度が変わるとその影響を”細胞レベル”でモロに受ける。ところが、高度耐熱菌のような極端な場合でなくとも、例えば酵母であっても15℃の低温から45℃の高温まで、30℃に及ぶ温度の振れ幅の中でうまく生き延びている。

周りが何℃であろうとも、生きるためには細胞の中で様々な化学反応が連綿と行われている。取り込んだ栄養素を分解してエネルギーを取り出し、または加工して自分を組み立てている部品(細胞膜、タンパク質、核酸など)を作るためだ。そういった反応は、温度によって進み方がかなり変わってくる。概ね低温では遅く、温度が上がるにつれ速くなる。たかだか30℃の違いではあっても、分子の世界ではこれは大変なことであって、普通ならばこれだけ温度が違うと細胞はにっちもさっちもいかなくなる・・・はずだ。でも酵母は生きている。なぜ?

この問いに対してスタンフォード大学の研究グループが、もしかすると酵母は、温度の上昇に従って細胞内の「粘性」を高め、化学反応を妨害することで過激に進むことを阻止しているのではないかと考えた。注意深い実験を重ね、実際に彼らは酵母の内部の粘性が、周囲の温度が上がるに従い上昇していることを示した。化学反応は、結局のところ物質と物質が衝突して互いに何らかの影響を及ぼし合ってまた離れる、ということなので、細胞内部の粘性が上がり物質の動きが抑えられるとそれだけ衝突頻度が低くなり、結果として反応も遅くなる。放っておけばガンガンぶつかってどんどん進んでしまう反応を、物質の行く手を阻んで遅らせているわけだ。

なかなかうまいアイデアだが、ではどうやって酵母は細胞内の粘性を上げているのか?彼らは、過去の文献を調査してどうやらグリコーゲンとトレハロースが怪しいと目星をつけた。どちらもグルコース〜ブドウ糖、すなわち酵母が一番の好物とするエサから合成される、炭水化物と呼ばれる物質の一員だ。周囲の温度が上がると、酵母の細胞内でこれらの物質の量が増える。グリコーゲンは粘性を上げるのに大きな役割を果たすが、増えすぎると細胞内がゴワゴワになる。トレハロースは粘性上昇に関してはイマイチだが、それがあるとグリコーゲンのゴワゴワを抑えてくれる。つまりこの両者のブレンドで、温度上昇に伴う化学反応の「過激な」進行をほどよく抑える細胞内環境が整えられることになる。

スタンフォード大学の研究者たちは、酵母に薬剤を加えてグリコーゲンやトレハロースの合成を阻害したり、酵母がそれらを作り出すために必要な遺伝子を破壊したり(現代の生物学では、ある細胞で特定の遺伝子を働けなくすることが比較的簡単に、かつ頻繁に行われている)して、温度が上がると誘導されてくるグリコーゲンとトレハロースが、細胞内粘性を高めて化学反応の速度を抑制するのに必要十分であることを実証した。彼らはこの現象を"viscoadaptation(粘性適応)"と名付け、生物が環境に適応するための重要なプロセスであると論じた。

面白い発見、そして提言だ。私は常々、細胞の中にはどんな世界が広がっているんだろうと、乏しい知識と想像力で思い描いてきた。教科書のイラストで見る細胞内部は、スカスカで、丸っこい物体やヒダのある物体が浮いていて、それより小さい球体がナントカ分子とかいいながらウロウロしている世界として描かれている。複雑な事象を分かりやすくするための単純化ではあるが、やはりこれではあまりよろしくない。現実の細胞内部は、もっといろいろなものがギュウギュウに詰め込まれた坩堝のようなものであるはずだ。そこで分子はどんな”経験”をしているんだ?どんなストレスにさらされているんだ・・・??

そんな思いに、少し応えてくれたような研究成果だった。ありがとう。

参照文献:
Cellular Control of Viscosity Counters Changes in Temperature and Energy Availability

Laura B Persson, Vardhaan S Ambati, Onn Brandman

Cell 183(6):1572-1585.e16. 2020 Dec 10; doi: 10.1016/j.cell.2020.10.017. Epub 2020 Nov 5.

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