加藤謙一氏が仕掛けた「講談社の絵本」の創刊当時の発行部数について
講談社の絵本といえば、誰もが読んだことのあるベストセラーが多くあります。
230万部の「100万回生きたねこ」(佐野洋子)はロングセラーの絵本です。
最近だと「ママがおばけになっちゃった!」(のぶみ)も60万部と、社会的ベストセラーとなりました。
講談社の絵本の原点は、1933(昭和8)年12月23日です。
4点を同時刊行して、なんと各40万部の発行部数でした!
合わせて160万部です。
発売を仕掛けたのは、雑誌「少年倶楽部」を3万部から75万部まで伸ばした、加藤謙一さんです。
戦後は公職追放で講談社を辞し、学童社を創立して「漫画少年」を創刊する方です。
トキワ荘の漫画家が神聖視した「漫画少年」です。
このことは、加藤謙一さんの四男・加藤丈夫さんの著書「『漫画少年』物語」(都市出版)に詳しいです。
160万部という部数は、今も昔もとてつもないことです。
「読者も本屋も戸惑ってしまった」ということです。
「戸惑う」のは部数だけではありません。
定価もです。
「絵本といえば一冊四、五銭という時代に三十五銭もする豪華本」だったのです。
「買い与える親たちの理解を超えていた」とも書かれています。
昭和初期は、大人も子供も「本」や「雑誌」が最大の娯楽です。
そして「本」は高価なものでした。
160万部の結果は、失敗でした。
創刊4タイトルは、「乃木大将」「岩見重太郎」「四十七士」「漫画傑作集」(田川水泡、島田啓三他)です。
40万部のうち、30万部は返品となったようです。
この4点は同時発売でしたが、以後は月に4回、一冊ずつ発売する方式に切り替え、知名度も徐々に上がっていったのです。
最終的には全203点を発行し、総発行部数は8,000万部を超えたのでした。
2001年に「講談社の絵本」は復刻されます。
田辺聖子さんが「一寸法師」の序文にこう書かれました。
「子どもの直感は侮れない。現代の感性で当時の『講談社の絵本』を見ても、その典雅な絵と、平明でありながら流麗な文章には、〈気品〉が匂いたっている。」
「親たちの理解を超えていた」定価設定でありながら、8,000万部という部数を築き上げられたのには、理由があったのです。
〈加藤謙一さんが編集長をつとめた「少年倶楽部」の部数の躍進についてはこちらをどうぞ〉
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