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【Football × 将棋】「規律・原則」を「定跡・手筋」という考え方に


皆さんこんにちは。上原力也を信じろです。
今回は以前投稿した「作戦勝ちという概念」という記事に引き続き、将棋とのアナロジーでフットボールの「プレー原則・規律」について、一緒に考えていきたいと思います。

【目次】

■前説
■プレー原則・規律と自由(創造性)
■「手筋」という考え方の提案
■まとめ


【前説】

皆さんは、

「規律やプレー原則は自由を奪う」

と言った主旨の発言を聞いた事はありますでしょうか?
現在、日本のフットボールではポジショナルプレーという思想や欧州式(正確にはスペイン式)の3142保持攻撃戦術など、最先端の考え方が流入し、そうした思想を元にした議論が盛んになっています。その議論の中で、度々上がるのが

「プレー原則・規律」と「自由」の関係性

というテーマなのです。
この議論における一方の主張は、

「規律、プレー原則により選手のプレー選択をルーチン化する事で思考の負担を減らすことが出来る。そうする事でクリエイティビティ(創造性)が産まれる。」

という欧州の先端戦術理論そのものの考え方で、もう一方の主張は、

「規律、プレー原則によってやらねばならないタスクが増えれば必然的に選手のクリエイティビティ(創造性)を奪う」

というものです。これは意図してか、そうでないかはわかりませんが、割と現実を捉えています。戦術の欧州化にチャレンジをし始めたJリーグのクラブが最初にぶつかる壁を正確に指摘したものなのです。また、端的に「規律があれば創造性が発揮できないし選手の不満が溜まるから」と言って欧州化を好意的に捉えていない人達も沢山見受けられます。

どうしてプレー原則や規律が自由を奪うように感じるのか?どこに誤解があるのか?
それらを紐解く事で、より先端戦術理論の理解へと近づき、双方分かり合えるようになるのではないか

というのが本記事のテーマとなっています。


【プレー原則・規律と自由(創造性)】

そもそもプレー原則や規律は何のためにあるのか?という問いに対して信じろには一つの答えがあります。

「作戦勝ち」(ゴールに良い形で近づく)という準目標のためにチームオーガナイズ(決め事:規律)が存在し、それらを実現するのに必要なものが「プレー原則」である
※チームとしての理想形局面(得意な形)への誘導を「作戦勝ち」と信じろは言っています。詳しくは「作戦勝ちという概念」という記事を読んでください。

この考え方の根底には3つの考えがあります。

・第一に、プレー原則と規律が混同されてはならないという点です。「規律」はチームとしての決め事であり、「プレー原則」は個人戦術、ユニット戦術、チーム戦術や、ポジショナルプレーにおける5レーン理論など、「理想形」とはどういう状況のことか?を考える手助けをしてくれる「ものさし」なのです

・第二に、「プレー原則」というものさしは、広義的存在である事を知る必要がある、ということです。
先端戦術理論における、個人戦術やユニット戦術は極めて具体的に「こうすれば良くなる」と言った研究手順が数多く示されています。しかしそれはその局面が現れてはじめて活きるものであり、どう活かすかはチーム次第なのです。極めて信頼のおける研究手順ではあるのですが、「いついかなる時も」と言った「神聖にして侵すべからず」なものではありません。
加えて、これはポジショナルプレー思想にも当てはまります。
「どのような配置、ボールの位置、タイミングだと有利を取りやすいか」という思想であり、この考え方をどう活かすのか?が大切なのです。

・第三に、規律は選手の思考を縛ることもある。ということです。チームオーガナイズなどの規律が選手の意思に反していた場合、不満に感じ結果創造性が失われる事になります。
チームとしてメンバーを納得させねば意味がないということです。
対して、「プレー原則」は決して縛ることはありません
個人戦術、ユニット戦術、チーム戦術としての動き方は知識であり、それらを網羅して実践する事で経験になります。プレー原則や思想を知り、多くの手札を持っていれば非想定局面での創造性を発揮することができるでしょう。

以上の文脈から、

選手がチームオーガナイズ(規律)への理解(と納得)をして、プレー原則を活用するクラブは、理想形局面での自由(創造性)を得る事ができる

と信じろは考えています。


【「手筋」という考え方の提案】

プレー原則や規律、自由をテーマに考えた時、どうしてプレー原則と規律が混同され、自由を奪うものと誤解されたのか?という疑問が湧きました。
言葉のイメージでしょうか?
何が原因なのでしょうか?と考えた時に
「やらねばならない事」と「やれば良くなる(だろう)事」の違いが曖昧なまま議論になっていたのではないか。と感じました。

「やれば良くなる事」をチームオーガナイズに組み込んでいない事への分析

↓↓↓

「プレー原則」を絶対視した、それらを「規律」とせよと言っている

と誤解しているのではないか。
さらに「原則」と「規律」という単語の類似性からも、混同が産まれたのではないか?という考えに至り、

「プレー原則」を「手筋」

と言い換えてしまえば分かりやすくなりませんか?と提案させて頂きます。

手筋とは、駒の働きを最大限に引き出す局所的な使い方のことです。 歩にはじまり玉にいたるまで、それぞれの駒に特有の使い方があるだけでなく、いくつかの駒を組み合わせた手筋を使うことで高い効果を得られることがあります。 また格言とは、古くから伝えられる、攻めや守りに関する経験的な知見のことです。

(将棋講座.com様より引用。手筋一覧はこちら。)

(↑手筋例。桂馬により金の両取りがかかっている。)

手筋という考え方は、プレー原則、中でも個人戦術やユニット戦術の研究手順と似ています。信じろは定跡書みたいなもんだなと思っています。
前述した通り、これらは知識と経験であり、有効な場面で活用できれば数的優位性など、何らかの主張ができます。

将棋においても、手筋は絶対的なものではなく、使う場面を見きわめる必要はありますし、必須で万能でないからと言って知らないと駒損……で済めばいいのですが、一方的に負かされることもあります。勝つために知る必要はあるが、いつ使うかは自分次第なのです。

良いとされる行動を選択する、ということはつまり、それを知っているという事。知識や経験は武器であり、これは将棋に留まる話ではないと思います。


【まとめ】

・プレー原則と規律は別物!きちんと文脈で考えよう!
・規律は時に選手を縛る事もあるぞ!
・プレー原則は手筋。局面を良くする為のガイドライン。その知識と経験は強い武器になる!
・論点を見失わないように主張の理解を深めよう

言葉遊びをしている訳ではなく、将棋用語とのアナロジーによって「プレー原則・規律、自由」問題に対する誤解の原因と、一つ一つの言葉の意味についてしっかり考えて貰えたらなと思い本記事を作成しました。

将棋とのアナロジーがフットボールの議論の一助となればと心から思います。

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