【Football × 将棋】「作戦勝ち」という概念

皆様こんにちは。上原力也を信じろです。
今回はいつものレビュー記事とは趣向を変えて、フットボールにおけるゲームモデルや戦術、局面分析についての話をしていこうかと思います。

■目次
・本論のテーマ
・本概念にたどり着いた理由
・そもそも「作戦勝ち」とは何なのか?
・フットボールにおける先手型、後手型
・最後に


【本論のテーマ】

皆さんに「作戦勝ち」という概念をフットボールにおいても取り入れられるぞ!ということを伝えられたらなと思います。
本概念の有用性や意義を伝えるためにも、まず私が「作戦勝ち」という概念にたどり着いた理由から話していこうと思います。


【本概念にたどり着いた理由】

皆さんは試合分析をしているレビューブログや動画を見たときに以下のような疑問を持った事はないでしょうか?

・前残りするようチームで決めているであろう選手に対してプレスバックが〜等の批判があるのはおかしくないか?

・ネガトラで全力帰陣した直後の攻撃でスプリント出来なかった事を批判しているのはおかしくないか?

・これら指摘は結果論ではないか?

私は試合分析の動画を色々見る内にこのような疑問を感じました。結果を知っている我々フットボールファンが一局面を取り上げて

〜すべきだった〜しなければならなかった

という所謂反省点をあげるのは別に間違ってはいないのですが、そこに妥当性がないまま正論ぶって指摘する人が非常に多いなと、

試合の流れを無視した指摘に意味はあるのか?と……

局面分析において重要なのは多くの選択肢がある中で、どの動きが得点取る/失点を防ぐ上で最善であるだろうか?得点や失点という状況の蓋然性の高さに直結しているだろうか?という事だと私は思うのですが、結果を知ってしまっていると一種のバイアスがかかってしまうのだろうと思います。

そうしたモヤモヤの中、一つの仮説が立ちました。

90分間の中で個々の局面に対する答え合わせをするという行為自体、フットボールが11人で行うスポーツな以上限界があるのではないか?


本当に必要なのはチームとしての狙い、ゲームプランというものを考察した上での分析であるはずだと、そう思ったときに元々私の趣味だった将棋の「作戦勝ち」という概念にたどり着いたのでした。


【そもそも「作戦勝ち」とは何なのか?】

「作戦勝ち」とは、慣れていたり研究が深かったりする局面にする事……要するに、得意の形にして勝ちやすい局面になったということを指します。

将棋用語として広く使われているもので、例えば

四間飛車に対して松尾流穴熊に組めたら居飛車側の作戦勝ち

だとかが有名どころですね。当方四間飛車党なので対振り持久戦33角形が見えたら迷わず藤井システムで対抗しますが、松尾流まで組まれたら何指していいかわかんなくなりますし本当に勘弁して欲しいですね。


将棋における作戦勝ちについては「将棋講座ドットコム」様(https://xn--pet04dr1n5x9a.com/)から引用させていただきますと、以下の通りになります。

部分的に自分の主張の方がわずかに通っており、少し指しやすい局面の様子。主に序盤~中盤の入り口までにおいて使われる。厳密に形勢判断したものではない、という意味合いが含まれており、感覚的な要素が強くなっている。但し、盤面全体の形勢として「互角」と「有利」の中間に位置付けられる場合もある。「作戦負け」と反対の意味になる。
自分よりも相手の駒組みの方が選択肢が狭まっている、自分だけが1歩を手持ちにしている、相手だけが大駒を動かしづらくなっている、というような要素にだけ差が付いている場合は「作戦勝ち」と判断されることが多い。相手よりも少し駒組みがうまかったということにはなるが、まだまだ長い勝負が続くので、気を緩めることはできない。

これ結構フットボールでも同じように考えられると思うんですよね。というのも、フットボールにおいても事前準備をきっちりしたり、積極的に主導権をとって理想形に持っていこうとする考えは当然ありますし、それが所謂戦術(将棋で言うところの戦法)になる訳ですから、殆どそのまま将棋の概念を流用できると私は考えています。



【フットボールにおける先手型、後手型】

フットボールは戦術的に大別すると2パターンになると私は考えています。

先手型:積極的に主導権を握り相手を崩して得点を狙う
後手型:主導権の有無よりも相手の対策を徹底する等の手法で得点を狙う

具体例をあげるとするならば、有名監督で言えばわかりやすいかなと思います。

ペップ・グアルディオラ監督は先手型志向
ジョゼ・モウリーニョ監督は後手型志向
ユルゲン・クロップ監督やビエルサ監督は後手急戦志向
(思想としては先手型に近い後手型:ゲーゲンプレスやオールコートマンツーマンはまさに後手急戦と言えますね)

試合によって主導権争いは起きますし、何でもできるチームもあるのであくまで志向、傾向でしかないのですが、これらの方針が各チームの「ゲームモデル」として落とし込まれているものであることは明白であろうと思います。

そのようにチームを分類すると、事前情報として存在するフォーメーションやチームカラーからどちらが先手をとり、どちらがその対策をぶつけにいくのか?(後手として戦うのか?)という仮説を立てる事が出来るのではないかと思います。
先日行われたサウサンプトン対マンチェスターユナイテッドの試合では先手型のオーバーロード戦術をとるセインツに対してユナイテッドがどんな対策をするのか?という部分が注目ポイントになりましたし、試合の流れとしてはセインツの作戦勝ち、辛抱強く初志貫徹の対策をとって自分達の強み(タレント力)を最大化できたユナイテッドの勝利となりました。

このように、「作戦勝ち」という概念を取り入れて試合を見ることで、単に局面局面のミスに目が行く90分から、よりストーリーのある90分、彼らの戦術的な「主張」が聞こえてくる90分に変わるのです



【最後に】

「作戦勝ち」という概念、いかがでしたでしょうか?
そんなの当たり前じゃん!と思った方や、灯台もと暗しだったと気づいた方、それぞれだったかと思います。

選手個々人のプレーにフォーカスした局面分析というものを、私としては分析と呼んでいいものか?と思っています。それらは単に「事象を言語化」「筆者の理想論」を書いているだけに過ぎないのではないかと私は思います。それが間違っていると言っている訳ではなく、

その部分だけを語っても妥当性は低く説得力がないものになってしまう

というのが本論で最も伝えたい事なのです。

あるべき分析の姿とは、
・フォーメーションやチームカラーからゲームプランを予想し、ゲームプラン内のコストとリターンを把握し仮説を立てること。(仮説)
・試合内での主張を汲み取り「作戦勝ちの状況」を見極め評価すること。(立証)
・ゲームプラン外の未知の局面に対する選手の選択をリスペクトした上で、今後同一局面が出たときの為の最善手の考察をすること。
(考察)


ではないかと私は考えています。

仮説→立証→考察というサイクルを決してサボってはいけません。我々レビュアーはファンとしてピッチ上の表現物の上澄みを貰って言語化しているだけの存在に過ぎないのですから、常に謙虚に学び続けていかなくてはなりません。
そして当然、選手たちは将棋の駒ではなく人間です。未知の局面や既知の局面に対して創造性を見せたり、分からなくなって間違えたり、そういう部分こそがフットボールの醍醐味なのではないかなと私は思います。

「作戦勝ち」という概念を通して、多くのフットボールファンの皆さんが結果論から脱却し選手たちをリスペクト出来るようになることを期待します。

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