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京都新聞

実家の新聞は京都新聞だった。人によっては京都新聞読むとこないとかいうが私は京都新聞育ちだったので京都新聞以外の新聞はなんか気持ち悪い。子供の頃はテレビ欄があるほうが表とおもっていた

何故か理由はわからないのですが小学校6年の時に新聞配達をしていて夕刊だけくばっていた。件数は20軒はなかったとおもう。家の近所弟と半分に分けて配っていた

特に欲しいものがあったわけでもなく、貧乏過ぎたわけでもなく、なんでやっていたのかわからない。1年弱はやっていた気がする

そんなある日ドラえもんの映画を観るために母親、弟、あともうひと家族と京都市内に出かけた。ドラえもんの映画第一弾だった。のび太の恐竜やったか?

すると夕刊までの時間に戻れなくなっていた。家に帰ると父親が代わりに配っているようだった。1軒、新聞を楽しみにしていたのであろう頑固親父がいる家が京都新聞お断りって張り紙していたが「ちょっと遅れたぐらいでこんなことすな!」つって村の暴れん坊である父親が逆ギレしていたようだ

件数が少なかったし夕刊だけだったので当時1ヵ月3000円貰った。少なくね?どこかで抜かれていたのか?件数と小学生って考えたらそんなものか


当時京都新聞には八百句とかいう世相を反映したようなつぶやきをハガキで送る小さなコーナーがあった

中3の頃ソ連の領空侵犯で民間機がサハリン沖で撃墜される事件があった。それは稚内に近いところであったので

中3の私は八百句に「これからは稚内じゃなくおっかないって呼ぼう」としょーもない親父ギャグかつ大変不謹慎なつぶやき的なものをハガキで送った

すると京都新聞に載って図書券500円もらった

今なら採用されてないでしょうね




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