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マリーアントワネットの裁判。〜死刑を回避する4つの条件

マリーアントワネットは冤罪だったと池田信夫氏はXで評価した。本当にそうだろうか。先にも書いた通り、王権を守る為に外国の軍隊を呼び寄せようとした事は歴史的事実として認められているし、革命政府は王妃を処刑せずに革命は成立しないと考えていたので、あらかじめギロチンが決まっていた裁判ではあった。しかし、マリーが冤罪で処刑されたなんていうのは、とんでもない暴論です。

マリーが少しでも平民の生活に気遣いを見せ、宝石やドレスを売って救護院を建てていたら?首飾り事件の時にきっぱりと購入を断っていたら?ヴァレンヌ逃亡事件に反対していたら?

パリオリンピックの開会式で牢獄から生首姿で登場して笑い者にされたマリー。別の城で優雅に老後を過ごす人生があっても良かったのでは?

それで、今日はどうやったらマリーは死刑を回避できた?を推理してみることにしました。歴史に<if>は禁物ですが、今回の開会式でマリーの扱いに憤慨した人は多かったと、と私は考えます。マリーの慰霊を込めて、フランス王妃の生き残り作戦を考えてみました。

①ルイ16世のお父さんが早逝していなければ…


名著『マリーアントワネット』にも革命裁判所はマリーを「証拠不十分で保釈もできたはず」としています。池田氏の冤罪説ですね。マリーの生涯を見るに、あちらこちらでギロチンを回避するチャンスがあった様子が伺えます。そもそも、ハプスブルク家に生まれてなければ…そしてもっと早く生まれていればルイ16世の年齢と不釣り合いで縁談は成立しなかった。また遅く生まれていても同じ。それからルイ16世はお父様がルイ15世の退位前に早世していてます。

だから、おじいちゃんの王位を継いだ形になります。このルイ16世のお父さん(ルイ・フェルディナン)は、オーストリアとの和平のためのマリーとの政略結婚を反対していた、という事でした。もし早逝していなければ。
マリーはブルボン王朝に輿入れせず、オーストリアのどこかの田舎貴族の下で幸せな一生を過ごしていたかもしれません。しかし、歴史はものすごい力でマリーとルイ16世を結びつけてしまいます。

②首飾り事件で強権を発動していたら

首飾り事件。名作漫画『ベルサイユのばら』の読者には有名な話ですが、知らない人の為に簡単に説明すると、現在の日本円にして16億円という気の遠くなるような首飾を使った詐欺事件です。

この首飾りは先王(ルイ15世)の宝石に目がなかった愛人、デュ・バリー夫人の為に作られたもですが、デュ・バリー夫人は先王の死で失脚したため、買い手を失ったので宝石商はマリーに買い取ってもらおうとした。しかし流石に高価すぎたのでマリーは躊躇していた。


その話を聞いた下級貴族のラ・モット夫人は首飾りの詐取を思いつく。マリーの歓心を買おうと躍起になっていたロアン大司教(ラ・モット夫人の愛人)にこの首飾りをプレゼントしたらきっとあなたを快く思うでしょう、宰相にもなれます、と購入を決意させます。そして「私が王妃に手渡しします」とちゃっかり首飾りを手に入れます。ラ・モット夫人はマリーにそっくりな娼婦をロアンにベルサイユ宮殿内で会せたりと詐欺の仕込みは完璧でした。

ロアン大司教は財産家ではあったものの、ロクでもない放蕩者でそれが理由でマリーに嫌われていましたが、やはり16億円を分割で収めるはずの代金を宝石商に収めきれませんでした。つまりローン破綻した。

これに宝石商が激怒、マリーの為にロアンが宝石を購入するというのは聞いていたので宮廷に直訴します。マリーにとっては寝耳に水でした。肝心の豪華な首飾りはラ・モット夫人がバラバラにしてロンドンに売りさばいてしまい、現在はレプリカでその豪華さを偲ぶ事が出来ます。それにしても、証拠隠滅のテクニックも見事なものですね。マリーは濡れ衣を晴らす為に裁判に訴えます。これが間違いのもと。醜聞はフランス中に知れ渡ります。


王妃のネックレスのレプリカ(フランス、ブルトイユ城(fr)蔵)

この事件では王妃は何も知らない被害者なのですが、なぜか当時の裁判所はロアン大司教に無罪を言い渡します。ま、ロアンも被害者なのですから当然ですが、王妃も王もなぜかそれを理解できない。多分、同じような知能指数でそこはお似合いだったのかな、と思います。裁判はラ・モット夫人のみを有罪として泥棒を意味するVの焼きごてを両肩に当てて終身刑にします。

これで事件は終わりかに見えました。

ところがどっこい、ラ・モット夫人只者じゃありません!いつの間にか脱獄してロンドンへ亡命、そこでマリーの暴露本(おそらくほとんどが事実ではない)を書いてマリーの評判を地に落とします。反革命の重要な証拠が当時なかったマリーが革命裁判所でギロチンになった理由の一つでもあったでしょう。

この首飾り事件、もしもルイ15世や歴代のブルボン王朝の王妃ならどうしたでしょう。裁判所に頼ったでしょうか?想像ですがロアン大司教はギロチン、ラ・モット夫人は拷問の末に火あぶりだったんじゃないでしょうか?火あぶりの理由はなんでもいい「王妃を侮辱した」だの「王家への反逆罪、すなわち神権への冒涜」などのを「おふれ」にしてさっさと無かった事にしたのではないでしょうか。

税金をドレスや宮殿に使うことは出来ても、身に降りかかった不祥事の始末は出来ない。ロンドンに調査団を派遣してダイヤの在り処を探ったりも当時の権勢なら可能だったでしょう。この首飾り事件への対処を見ても王も王妃も本当に世間知らずで自分たちの主観(ローアンが詐欺の首謀者)が真実で裁判所が間違っていると思い込んでこの事件を終わらせてしまいます。


AIに描いてもらった豪華な宝石を付けたマリー

もし、この時、どちらかが冷血を発揮して首飾り事件の関係者全員の首を切っていたら_
暴露本を出される事なく、王妃も革命裁判で恥をかかされずに済んだでしょう。
ギロチンの理由が一つ減ります。

ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア
1756年7月22日 - 1791年8月23日

③フェルセンがいなければ?

フェルセン、フェルセンこそがマリーを断頭台に押し上げた張本人、というとほとんどの人が意外に思うでしょう。『ベルサイユのばら』や宝塚でも颯爽と登場し懸命にマリーを支援します。命をかけてマリーを救おうとした事は膨大な書簡で現在でも確認できます。しかし、よくよくマリーが公開処刑されるまでの時系列を辿ると、マリーの立場をいつも悪くさせているのはフェルセンなんです。マリーの研究書『マリー・アントワネット』(安達正勝著 中央公書)では

敢えて言おうフェルセンは悪しき助言者だった。思想的にもあまりにも反動的でありすぎた。ヴァレンヌ逃亡事件もそうだが、フェルセンの意見に従った為にマリーはどんどん窮地に追い込まれていく。p.170

と書かれている。うんざりする宮廷の儀式、男性的魅力に欠ける夫ルイ16世、そこに彗星のように現れたスエーデンの貴公子。上記の本では二人は「相思相愛で間違いない」としている。フランス王妃と相思相愛。ものすごいパワーワードではありませんか。フェルセンがこれに酔い、自惚れたであろう事は、容易に想像できる。


AIに描いてもらったマリーとフェルセン

中央公論新社のルイ16世研究書の和訳『ルイ16世』(ジャン・クリスチャン・プティフィス著)ではあまりにも激しいマリーの情熱的であふれんばかりの恋心を綴った手紙を紹介している。

ヴァレンヌ逃亡事件後のチュイルリー宮殿に連れ戻された時

私は生きています…中略
いかなる理由があろうとも、くれぐれもここにはお帰りにならないように。私たちをここから連れ出したのはあなた様である事は、みんなが知っています。姿を現したりすれば全てがおしまいです。私どもは四六時中見張られています。どうでもいい事ですけど…どうでもいい事ですけど…さようなら。

中央公論新社『ルイ16世』p.336より

7月4日の手紙

私はいうことが出来ます。あなたを愛しています、そして、私の時間はそのことばかりで過ぎて行きます。あなたなしでは生きていられないのです。さようなら最愛の人、あらゆる男性の中で一番情愛の深い人。心からの口ずけを

中央公論新社『ルイ16世』p.336より

ルイ16世は毎日必ず日誌というか簡単なメモ書きをつけていた。
信じられない事に一家丸ごと殲滅されるかも知れないというヴァレンヌ逃亡事件中においても「何もなし」(!)
翌日は一行だけ「逮捕される」などと書いているので、その頼りなさは想像に余りある。マリーにとってフェルセンは頼りになる理想の白馬の騎士だったのだろう。だからと言って、だからと言っても。
マリーにとって幸運を運んで来てくれる人物ではなかった。これは本当に不幸な話ですね。童話のように美しい騎士とお姫様(王妃だが)が紆余曲折を経て最後は幸せに暮らしました、という事にはならなかった。

それで、フェルセンは王妃を革命の暴徒から救おうと様々なアイディアを繰り出します。それがいちいち(この時にこれをやらなければよかったのに...)とういう事ばかりなんですね。

革命が激化する最中、王も王妃も市民と向き合い、意見を徴集しなくてはいけない時に、王家丸ごと「逃避行」を提案するんですからね。(マリーが主体となってヴァレンヌ逃亡を計画したとも言われています)

やり方によってはフランスは「立憲君主制」としてブルボン王朝を存続させていたかも知れません。しかし歴史はそうはさせないように、フランスからブルボン王朝を消し去る為に、ベルサイユ宮殿にフェルセンを配置します。

占星術師が占えば二人は「破滅の相性」とでもいうのでしょうか。マリーの人生からポリニャック夫人とフェルセンを取り除いたら、牢獄で過ごす終末がなかったのではないか、と想像します。そしてマリーの不幸な事はこの2名に「一目惚れ」していた事ですね。好きな気持ちを精一杯表現した為に宮廷でも、パリでも立場を悪くしていきます。ポリニャック夫人に関しては元々がお金目的であったでしょうから、マリーの小遣いを集ろうが宮殿の利権をせしめようが、仕方ない。マリーの見る目がなかった、と評価できますが、フェルセンはお金目当てでも地位名誉が目的でもない。マリーの生き残りです。

だったらあんた、しゃしゃり出てくるな

ルイ16世は革命裁判所でたった1票差で死刑が決まりました。王家の人々を革命政府がどうコントロールするか、拮抗していたんですね。ただ野蛮に、乱暴に「革命に必要なのは王の首だ、首を切ってしまえ!」という雰囲気ではなかった。何故、ルイ16世は死刑になったか?ヴァレンヌ逃亡事件がなければ?

王の逃亡を知ってベルサイユに王がいなくても太陽が昇った、と農夫が驚いたと『フランス革命小史』に記述があります。

6月25日、パリの民衆は怒りの沈黙のうちに王の帰還を迎えた。民衆の多くは、王の逃亡をはじめて聞かされたとき、王がいなくても朝の太陽がのぼったと言って驚いたほど素朴であった。しかしこの素朴な信頼が、ただちにはげしい怒りにかわることもさけられなかった。その種子をまいたのは、王自身であった。<河野健二『フランス革命小史』1959 岩波新書 p.106>

王がいるから私たちが生かされている、という王権への信仰をヴァレンヌ逃亡事件は踏みにじった。だったら何の為に税金を払っているのか?

王がいなくても作物は育つ…

 王家の権威が失墜したなんて生やさしい事件じゃないですよね。
フランスが戦おうとしている国へ逃亡を図る王家…

後からはいくらでも歴史に口出しできますが、フェルセンの役目はマリーに逃亡を諦めさせる事だったのでは…逃亡先から連れ戻される時に国会が派遣した二人の議員が馬車に乗り込みます。そのうちの一人が弁護士でもあるバルナーヴでした。バルナーヴはパリに帰還する王家の人々と接して政治組織ジャコバンクラブから脱退し、王を擁護して立憲君主制を唱えるフイヤン派を作ります。

先に述べたように、王の処刑に賛否が拮抗してたので、マリーやルイ16世がバルナーヴのことをよく聞き入れて革命派と手を組み、利権を手放さない大貴族や僧侶などを駆逐するという方向に動いれば、王制はいずれは廃止になっていたかも知れませんが王妃や王子の悲惨な末路は回避できたでしょう。

嫁と息子を悲惨な目に遭わせたという一点でルイ16世はダメダメな君主と思っていますが、さらにフェルセン(妻の愛人)を頼りにするという底抜けのお人好し。
ルイ16世が彼を宮廷から遠ざけていたら.…マリーは逃亡事件で親身になってくれたバルナーヴのいう事を聞いて立憲君主制を飲んだかも知れません。いや、しかし、どの本にも「マリーは敗北を認めない女」と書かれています。歴史はどうやってもマリーを断頭台に押し上げます。

それをなんとか回避させようとしたのがミラボー伯でありバルナーヴ。そして裁判所でマリーを弁護するショヴオー・ラガルトでした。ミラボーを除いてこの若い二人は弁護士。フランスは革命時下であっても弁護士が王妃を守り弁護する国でもあるんですね。ミラボーはフランス革命進行中に亡くなり、実際にマリーの役に立っていたのはこの二人でした。フェルセンがいなければ、立憲君主制を唱えるバルナーヴを頼り、最悪の事態は避けられたかも知れません。

④プロヴァンス伯爵が長男だったら?


マリーが死刑にならない方法。いろいろ考えてみましたが、ルイ16世とマリーがほぼ同い年で生まれていたり、二人の政略結婚に反対するルイの父上が即位することなく早逝したり、上記したように磁石のように二人はくっついてしまう。マリーもルイ16世も王家に生まれなければ…例えば弟のプロヴァンス伯爵。ナポレオン失脚のちに短期間ブルボン王朝を復活させますが、ナポレオンから「ルイ16世から実直さを引き、機知を足したもの」と評される人物。


若いころのルイ18世

肖像画見ても頭良さそうですね。彼が長男として生まれていたら?フランス革命はどうなっていたでしょうか?あっさりと立憲君主制に移行し、ギロチンの嵐、恐怖政治はなかったかも知れません。『ベルサイユのばら』にも悪役として登場しますが、やっぱりマリーのネガティヴ・キャンペーンをやっていたようですね。巷に溢れるマリーの罵詈雑言。

それを面白おかしく記事にする記者たち。その資金源は…ルイ18世、プロヴァンス伯爵だった可能性は高い。ラ・モット夫人を牢獄から救い出してロンドンに脱出させたのもこの人だったのでは?などと想像するとマリーはとんでもない敵に囲まれて宮殿に暮らしていたのだなぁ、と気の毒にもなります。歴史はそんなワル知恵働く彼を王の弟として登場させます。兄ではなかった。

こうしてみると、ブルボン王家は滅びるべき、との歴史の意思を感じます。ルイ18世はナポレオンの百日天下のもとで国外逃亡したまま崩御します。その弟シャルル10世が即位しますが、王政復古を強行、市民の強い反発を受けてイギリスに亡命、ブルボン王朝は終わりを迎えます。


AIに描いてもらったマリーアントワネットの生首

終わりに

どうでしたでしょうか。お盆にマリーアントワネットの本をたくさん読みました。池田理代子さんの名作『ベルサイユのばら』も読み返しました。この漫画は少女漫画の金字塔と呼ばれ、累計発行部数2000万部を誇っています。国民的漫画と言っていいでしょう。

オスカル・アンドレらの魅力的な創作キャラを登場させながら、史実に忠実でロザリーやメルシー伯爵など実在の人物も重要な役としてきちんと描き切ってるのが凄いなと思いました。マリーの護衛として心から使えたオスカルの遺志を受け継ぐ形でロザリーもマリーに献身的な愛を捧げます。史実にはロザリーがどんな娘でなぜコンシェルジュリに投獄されたマリーに尽くすのか謎ですが漫画ではちゃんと辻褄があうんですね。(実在のロザリーはポケットマネーでマリーに手鏡を差し入れしたり、自宅の椅子をプレゼントしたりしています)

少女時代、この漫画を読んで美しい王妃に憧れ、オスカルの死に涙しました。そんな心の宝である『ベルばら』を読んでいた身としては、2024年のパリオリンピック開会式で生首姿のマリーを見たときの衝撃は忘れられません。今もって許せません。そんな気持ちをどこに持ってっていいやらで、お盆休みの今日、マリーが助かる方法(後のパリ市民の笑い者にされない為に)歴史探偵のモノマネをしてみました。図書館で借りたマリーアントワネットの研究書があまりにも面白くて私もマリーの研究家になろうかしら?などと考えました。オリンピック開会式は皮肉にも私にフランス史の新しい研究の窓を開いたのでした。(了)


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