八ケ岳と安曇野の道祖神たち①
道祖神とは何か
多くの書物を読むと、道祖神は「村の守り神」と書いてある。「塞の神」(さいのかみ)がルーツであるともされる。「塞の神」とは、村境、集落の入り口に建てられた村の外敵や伝染病を防ぐ防災・防疫の為の神である。
そうすると、道祖神を評する時によく言われる「夫婦和合の神」「性愛の神」だけとも性質が違うようだ。五穀豊穣の神でもあるらしい。
夫婦の形だけではなく、石碑に文字だけのものもある。魔除け、道標、ときには、待ち合わせの目印にもされただろう。ランドマークとしても機能していたとも考えられる。
ただ、道祖神信仰として、男性器を模した石を祀ったりもしているところから、様々な呪術的な対象で、時に神仏混合として、一基建てると多様な祈念を捧げる事が出来る、コストパフォーマンス性の高い石像であったのだろう。
道祖神はエコである
紙と竹、土壁で出来た家に住む日本人にとって、堅固な石仏や道祖神は永続性のあるサスティナブルな信仰対象だろう。現に今でも私達は元禄時代や宝永年間に建てられた道祖神を拝む事が出来る。
高温多湿、雨の多いモンスーン地帯の日本で次世代に託せる信仰の証は、紙よりも木、木よりも石なのである。村人が子孫に残す村の共同遺産でもある。
安曇野の道祖神たち
道祖神の写真を撮ろうと、思い立ち、まず、何処からにしようと思うと、お勧めは安曇野だろう。
何しろ、道を歩く人よりも、道祖神の方が多いのではないか、と思うくらい道祖神がある。
ごく普通の小道に突然捨て置かれたようにポツリポツリと置いてある。
余りにも多いので、とても一日では廻りきれない。
出来れば二日は時間を取りたい。しかし、どうしても、一日しか時間が取れないと言うのであれば、『大王わさび農場』をお勧めする。一時間いるだけで、満足できる枚数の道祖神と石仏を撮ることが出来る。
安曇野は安曇氏という一族の名前から来ている。海神を祀り海の人であったと言う。何故、内陸に居住するようになったかは、諸説あるらしい。海の交易で活躍した一族が四方を八ケ岳に囲まれた安曇野の盆地を選んだ理由は謎である。
そうすると、この道祖神たちが作られた理由も、拝まれた訳も、謎のままにしておいた方がいいかもしれない。
安曇野の道祖神たちは今日も八ケ岳からの風に吹かれて人々から祈られるのを待っている。
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