見出し画像

語彙力=検索力=自学力

 教室では、授業中のスマホの使用を許可している。むしろネットを使って検索して調べてみるよう声がけする。
 スマホの使用については、賛否両論はあるが、私は使い方さえ間違えなければ、自学を支えてくれる便利なツールだと思っている。その理由についてまとめてみたい。


1.スマホの機能を上手に使う

  まず第1に、私自身、ワーキングメモリが弱く、生徒さんに伝えるべき、膨大な情報を全て正確に記憶できていないのだが、この便利なインターネットの検索エンジンのおかげで、私のように少々メモリが小さくても、素早く知りたい情報に導いてくれることが挙げられる。スマホは私の弱点を補い、仕事をサポートしてくれる、便利なツールである。

  スマホの役に立つ機能として、電話機能はもちろんのこと、検索エンジンから調べたい必要な情報を探したり、メモ機能、語学などの勉強、タイムウォッチ、アラーム、リマインダー、辞書機能、翻訳機能…そして、保存機能を持つSNS など、おっちょこちょいで忘れやすい私には、無くてはならない機能が満載である。これらをうまく利用することによって、自分の苦手な部分を補って仕事ができることは何よりも 有難いことだ。

 第2に、コロナ禍の時代、リモートワークやオンライン学習の機会が増えたが、ますますスマホやタブレット等の端末を上手く使いこなしていかなければならない時代になるのは間違いない。

 まず文科省では、世界的に見て日本は教育の情報化が遅れているとし、「GIGAスクー ル構想」を加速するとしている。


また関連記事として、昨日は教員がデジタル化に対応できるように専門家の派遣を検討するという報道もあった。


 こうした中で、せっかくあるスマホなどの端末を、電話やメール、ゲームだけの機能しか利用しないのは非常にもったいない話である。

 時折、こうしたネット利用について、不安から電話以外の使用を子どもに許可していない、あるいは端末そのものの利用を認めていない家庭もある。そのため、正しい情報リテラシーを身につけられるような教育も必要となる。しかしながらこのような教育は学校教育現場においては不十分だ。ならば、身近にいる大人が教えていかねばなるまい。利用できるツールをないとする、利用するなというのは時代錯誤も甚だしいことである。

 無論、スマホで様々人気のゲームにもアクセスできるし、さまざまな情報にアクセスすることもできる。もし子どもが親の目を掻い潜ってゲームばかりして、時間を費やし、勉強や仕事を疎かにしてしまうなら、スマホを上手く利用する能力はない。スマホの使用時間やゲーム時間を決めるなどの約束をしながら利用するなど、家庭で良く話しあい、上手に利用して欲しい。

画像1

2.検索力と国語力との相関


 具体的な検索力について、あるいは方法については、様々なサイトに詳しくあるので、是非検索して参考にして欲しいが、私自身も概ね同じようなやり方だ。

・何か調べたい物事があれば、その物事に関連した、キーワードを入力する。
・キーワードは一つだけではなく、2つ、3つ入れていくと、より知りたい情報に近いものが上位にリストアップされる。
・キーワードを入れ替えたり、英語、ロシア語、ドイツ語、数字なども組み合わせて検索する。

  これらを様々な検索エンジンにかけ、上位の中から冒頭部分を読み比べ、有益な情報を選択していくのだ。

  私はその時間が短いらしい。しかし、生徒たちはインターネットの使い方もまだたどたどしく、また検索して適切な資料を見つけ出すまでに非常に時間がかかる。以前、

Q.先生はどうして調べたいことの情報をネットですぐ見つけられるのですか?

と質問されたが、それは、

A.検索力の差

だと自信を持って答えられる。

  私は検索力について、国語力、つまり日本語の能力差に関係していると痛感している。それは以下の論文にも報告されているので参考にして欲しい。


インターネット検索能力の差異に及ぼす
要因の検討 その 1 ―高校生と大学生の比較実験を通しての知見―
福島健介・小原 格・須原慎太郎・生田 


  検索力の高い人は、それまで膨大に積み重ねてきた知識の断片から、より近い断片をいくつか選択し、組み合わせ、新たな未知の情報にアクセスする力が強い。
  そしてこれは、初見の文章を読んだ時に、いかにその文章をすばやく読解できるかという能力に等しい。

  生徒に同じ教科書、参考書、題材を与えていても、その中からどうやって調べたら良いのか、あるいは、どこに調べたいキーワードが書かれてあるのか、見つけ出して考察して解を導き出すまで短時間でできるのは、国語の得点力の高い生徒に多い。

  一方国語を苦手とする生徒は、検索エンジンにどういうキーワードを入れて検索すれば良いのか、キーワードを絞るまでにも時間がかかる。

  さらに検索力が低いと、必要な情報を調べるまでに膨大な時間を要してしまい、結局自分で調べることを諦めてしまうことになるのだ。それが日常になっていくと、ますます知識や語彙は増えていかず、何でも「やばい」で済ませるような、単調な語彙で全てを表現する生活習慣に陥ってしまう。

画像2

 
3.検索力が高いほど自学力も高くなり、1人勉強が楽しくなる。


 平安時代において、和歌は上流階級(貴族)の間で、今のラインやショートメールのような感覚で、恋を語らいあう、いわば異性とのコミュニケーションツールであった。

 和歌を詠む際には、いくつかテクニックを見せて、教養をアピールして気になる女性にアプローチした。例えば、縁語、掛詞、本歌取りと言った修辞法は、今のスマホでの検索に必要な技法を思わせる。

 それらの修辞法を習得し、使いこなせるようになるには、やはり基礎学力、教養を身につけないと下支えできないだろう。特に本歌取りはそもそも古歌の知識がなければ引用もできない。そのためにも古の貴族たちは古の和歌を学び、日頃読んでは学び、教養を深めていったのである。

 私は?といえば、教養を積んだ時期は小学校の時に遡る。今の時代のようにスマホもない時代、小遣いもないので漫画本も買えないので、学校の図書室の本をひたすら読んだ。5年生あたりまでにはほぼ読み尽くし、小学校6年には、ちょっとした小説を1人勉強のノートに書いていた。ひとり空想の世界を自由に行き来するのが楽しくてしょうがなかった。

 その時の担任の先生、O先生から、面白いね!と褒められたのが自信となり、毎日宿題として提出する1人勉強ノートに自分の創作物語を書き連ねた。その原体験が、後に高校で文芸愛好会に所属し、大学での自分の専攻に繋がっていったのかと思っている。

 小説を書く時には、いろいろな言葉や表現を使うので、中高と、現代文や古典の語句調べは必ず辞書を使ってノートに予習をしていた。そのため、言葉の意味は今でもスマホに頼らずともほぼ辞書通りの意味を伝えることができている。

 またこのとき得た語彙力は、大学での数々のレポート、卒論、あるいは大学院の修士論文を書く際、膨大な著書や論文を読み込み、その中から必要な記述、データを探し出す課程において大いに役立てられた。

 学びの中で必然と検索力を鍛えられたが、これは勉学に努めた期間の賜物であり、今の仕事にも役に立っているのだと実感している。


  今はスマホ一台あれば辞書の比ではない、あらゆる情報にアクセスできる。その中で正しい情報、必要な情報を選び出せるよう、情報リテラシーを学び、ツールを上手く利用できるよう、試行錯誤しながら、スマホと良いお付き合いができるようにしたいものだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?