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人に道を教えると確実にモヤモヤする

近所を歩いていると、道をたずねられる。京都だから観光客が多いのか、私が部屋着の延長のような地元民まるだしの格好をしているからなのか。

道をたずねられれば教える。当たり前だが。

しかし教えた後、いつもモヤッとしたものが残る。なんだか釈然としない気持ちで、爽快感のないまま歩き出す。

最近分かったのだが、これは要するに、道を教えた段階で自分の役割が終わってしまい、教えた人々が無事に目的地に辿りつけたかは永久に分からないからである。

たとえば、何々という神社はどこだとたずねられる。道を教える。ありがとうと言われて別れる。その後、相手が辿りつけたかは分からない。私の説明はしっかりと分かりやすく成されていたのか、間違った道を教えていなかったか、不安になる。とくに、現在地から目的地までのルートが複雑な場合。

以前、夜中に散歩していたら、観光客らしき二人組のおばさんに近くにコンビニはないかと聞かれたことがあった。すこし先にファミリーマートがあったから、そこまでの道を教えて別れた。そのファミリーマートはけっこう分かりにくいところにあった。二人のおばさんは暗闇に消えていった。

散歩を再開してから、教えたのとは逆方向にセブンイレブンがあることを思い出した。こちらは二つの大通りがまじわるところにあり、夜でも明るい。土地勘のない人間でも簡単に見つけられるだろう。コンビニを出たあとの行動もしやすいはずだ。絶対にあっちを教えたほうがよかった。しかし、二人組のおばさんは暗闇に消えた。私がファミリーマートの場所を教えたばっかりに。

私は、こういう状況が駄目である。この時点で、自分がおばさんをファミリーマートという冥界に送り込んだ死神であるように思えてくる。京都にはじめて来た二人組が、あんな真っ暗なところにぽつんとあるファミリーマートに辿りつけるはずがない。途中で、野犬に食い殺されるのではないか。

片方のおばさんが道中で野犬に襲われて死に、もう片方は血まみれの姿でなんとかファミリーマートに辿りつくのだが、傷が深かったんだろう。店の前でばたりと倒れる。それに反応して自動ドアがさーっと開くが、皮肉なことにおばさんはもう息絶えており、あとは血まみれの死体の前で、自動ドアが意味もなく開閉を繰り返すだけ……。

むろん、京都はこんな荒れ果てた世界ではない(説明するまでもない)。しかし不安は付きまとう。道を聞かれるだけでそんな精神状態になるんだから、どうしようもない。本当は道を教えたあとメールだけほしい。無事つけたとだけ知りたい。元気に観光できたと分かればなおよい。しかし、そのために連絡先を交換するはずもない。何もかもが面倒だ。頭が破裂する。もう誰も私に道を聞くな。

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初出:2014年〜2016年

真顔日記の通常回をまとめたもの

めしを食うか本を買います