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私から森永さんへ

三十一歳女性が仕事帰りにコンビニに寄ったようで、レジ袋をさげてきまして、取り出したのはチョコボール。愛らしいキョロちゃんの顔が描いてある。これはすばらしいということで、ものほしげな顔で見ていたら、「あんたの分も買ってあるよ」と太っ腹なことを言われたものだから、本当にこの家に転がりこんで良かった、この女はすばらしい、住まわせてくれる上にチョコボールまで買ってくれる、きっと女神にちがいないと心底感動した。

女神(31)からチョコボールの小さな箱を受け取る。軽く振ってみると、中でチョコボールが動いて、カッカッカッと心地よい音が鳴る。これをきくと、もうたまらない。私は三十一歳女性および森永製菓に深く感謝しながらビニールをはがし、例の奇妙なフタを開け、チョコボールを口にほうりこむと、元気にサクッと噛み砕いた……つもりだったのだが、衝撃的なことに、噛むとグニャーとなった。チョコボールはチョコボールでも、ピーナッツではなく、キャラメルであった。

数年前、二人が知りあって間もない頃、チョコボールはピーナッツにかぎるという話で我々は意気投合したはずだった。あの話をしたことで確実に二人の距離は縮まった。この女はそんな思い出も忘れて私にキャラメルを食わせるのかと思い、感謝の念もどこへやら、文句のひとつも言ってやろうと女を見たのだが、女は口をもごもごさせながら、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。正確には、苦虫でなく、キャラメルを噛みつぶしていた。

最近、チョコボールのパッケージが微妙に変化したらしく、見慣れないデザインにとまどった女は、ピーナッツを買ったつもりがキャラメルを買っていたらしい。結果、我々は好きではないキャラメルをくちゃくちゃとやる羽目になったのである。

みなさんもご存知のとおり、チョコボールにおけるピーナッツとキャラメルはまったく別の方向へ進んでおり、互いに代わりになるものではない。ピーナッツは固形の究極へ向かい、キャラメルは粘性の究極へ向かうのだ。

女性は、「なんかごめん」と言いながら、キャラメルをにちゃにちゃとやっていた。私は無言で首をふりながら、キャラメルをくちゃくちゃとやっていた。それはちょっとしたお通夜だった。誰か近しい人が死んだかのようなムードだった。故人の好きだったチョコボールを食べているような気持ちになった。パッケージのキョロちゃんだけが笑っていた。先ほどまで私はこの女を女神だと思っていたが、よく見れば、単なる間の抜けた三十一歳だった。

チョコボールの味を間違えるという、ただそれだけのことでも世界が色を失うことはあるのだ。だから森永製菓の皆さん、一人の消費者として言わせていただきたい。ピーナッツとキャラメルは、馬鹿でも初老でも見分けられるようにしておいてください。どうかお願いいたします。草々。

(京都府 二十六歳 家事手伝い)

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初出:2010年〜2012年

杉松の家に住みはじめた頃の文章をまとめたもの

めしを食うか本を買います