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真顔の男と真顔の女

京都にて、三十一歳独身女性の家に居候している。

働いてはいない。

こんなことを書くと、読者の方々にひとつの疑念がわくことだろう。この上田という存在は、女の家に転がりこんでろくに働きもせずタダ飯をかっ食らう男、すなわち、「ヒ」ではじまり「モ」でおわる例の二文字なのではないかという疑念だ。

どうかやめていただきたい。こちとら、その二文字にすごく敏感になっているのだ。疑念を振りはらうのに必死なのである。ちょっと油断すれば、「あれ、今の俺ってヒとモの二文字で説明できねえ?」と思いはじめるし、眠れない夜は天井を見つめながら「俺はそんな二文字じゃない」と無心で唱えているし、なんだかもう、ロープ状のものを見るだけで背中に汗が流れる。

現況を整理しよう。判断はそれからである。

この家にきた当初、私は三十一歳女性に「新しい家が決まるまで二ヶ月くらいいるから」と伝えていた。女性は「そう」とだけ答えた。暫定的なものとして共同生活は始まった。それからは特に何をするわけでもなく、家でゴロゴロという言葉で要約できる日々を送っていた。

するとあっという間に二ヶ月が過ぎて、出ていく予定の日がすぐそこに迫ってきた。働いてないし、家も探してないし、引っ越すそぶりすらみせていない。それに対して、女性が「二ヶ月の話はどうなったの」と尋ねてきたので、ここは正念場だと感じ、軽い調子で、「もうちょっといよっかなー」と答えた。女性は「そう」と言ったあと、間髪いれずに、「来月から家賃半分だしてもらうから」と言った。それはもう真顔で言った。思わずこちらも真顔になった。それは毅然とした態度の見本みたいな姿であり、ヘラヘラしていたら八つ裂きにされそうだった。

しばしの沈黙があり、「払わないなら出てってね」という駄目押しのひとことが放たれたので、私は真顔で、「わかりました」と答えたのだった。同居して二ヶ月、まさかの丁寧語であった。

以降、私は家賃の半分を払っている。食費も自分で払っている。アルバイトこそしていないが、雑誌の大喜利連載で得た金で、なんとか食いつないでいる。これは、どれだけ強調してもしすぎることはない。

たしかに、最初の二ヶ月は例の細長い二文字で例えられてもおかしくない状態だった。それは認めよう。しかし現在、二人の関係は完全に対等であり、大人の男と大人の女として、片方が片方に寄りかかることなく、完全なるフェアネスのもとに、日々の暮らしを送っている。そんな私に、誰が「ヒ」とか「モ」とか言えるだろう。

今、真顔日記の幕開けとともに、この大地にみずからの足ですっくと立ち、口にすることを避けてきた二文字に怯えることなく、胸をはって宣言しようではないか。

私は断じて、ヒモではない!!!

ちなみに、光熱費とネット代は向こうが支払っている。

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初出:2010年〜2012年

杉松の家に住みはじめた頃の文章をまとめたもの

めしを食うか本を買います