
スタバでaikoを聴いていたら隣にaiko的世界が生まれていた
初出:『真顔日記』2016年
スタバでaikoを聴きながら文章を書いていた。これは単なる私の日常である。隣の席には高校生カップルが座っていた。問題集をひらいて二人で勉強している。これもよくある光景だ。なので私はとくに気にせず、aikoを聴きながら文章を書き続けていた。
集中して三十分ほど、一息つこうとイヤホンを外した。隣には、まだ同じカップルがいた。会話が聞こえてきた。
「〇〇ちゃんとなんで別れたんよお」
「なんかちゃうかってんもん」
「あの子ええ子やん」
「あかんねん、なんか」
「ふうん」
「もうええねん、新しい恋したいわあ」
私は勝手にこの二人をカップルだと思っていたが、会話の内容からすると付き合っていないようだった。というか、男のほうは別に彼女がいたんだが最近別れた。それを目の前の女友達に愚痴っているという状況のようだった。
しかし、である。
女のほうは絶対に男のことが好きだった。それは声色や表情から判断された。なのに男のほうは無神経で、彼女と別れたことや、次はどんな女がいいかということを、べらべらと喋りつづけている。
これはaiko的状況だと思ったッッッ!
いや、いきなり興奮されて、みなさんビクッとなったかもしれない。猟銃を取りに走ったかもしれない。それは申し訳ない。おどかすつもりはなかった。興奮してしまっただけだ。あらためて言わせてほしい。
これはaiko的状況だと思ったッッッ!
私は店内で真顔のまま興奮していた。イヤホンでaikoを聴いていたら、隣にaiko的状況が生まれている。発生している。勃発している。これが興奮せずにいられるか!
「あなた」は別の女の子のことが好きで、「あたし」は友達にすぎなくて、「あたし」はずっと「あなた」を見ているのに、「あなた」は気づかずに無関係な「あの子」を見ている。私は学者が書庫から該当する書物の1ページを探すように高速でiPhoneを操作し、該当するaikoの一曲を探しはじめていた。
周りに集まった友達
何も言ってくれないのは
あなたのそのまなざしが
遠くのあの子映したから
『相合傘』
これだッッッ!
手元の銃を降ろして、もうすこし話を聞いてほしい。
恋愛とは三角関係である。だからaikoの曲にはしばしば「あの子」の存在がよぎる。たとえば『相合傘』においては、男の瞳には「あの子」が映っている。aikoは「あなたの瞳に何が映るか?」に強くこだわる女である。恋愛とは要するに視線の奪い合いだと知っているからである。「あなた」の視線はなかなか「あたし」を向かない。それどころか「あなた」は「あの子」に視線を向けている。この過酷な状況において、aikoは数々の楽曲を生みだしてきた。
その意味で、いまaikoを聴くべきなのは、絶対に私ではなく隣の女だった。こういう女が自宅でクッションに顔をうずめながら聴くためにaikoの曲はあるのであり、三十すぎの男がスタバでわけの分からない文章を書きながら聴くためにあるのではない。このイヤホンの適切な位置は私の耳の穴ではなく隣の席で男の話にあいづちを打って笑いながら泣いている女の耳の穴であり、適切な場所に置かれずしてaikoの何がaikoか!
しかし私は社会動物であり発狂など全然していないから(狂人はそういうこと言うもんですが)、隣の女に唐突に話しかけることはしなかった。かわりに、aikoの多数の作品のうち「あなた」が「あたし」を見てくれないときに聴くべき曲をリストアップしていた。以下がその一覧である。
1 『相合傘』
相合傘の所 右傘に誰が宿る
あなたであるように望みたくして
先ほど引用した曲だ。ここでaikoは相合傘の片方に自分の名前を書き、隣にくる「あなた」のことを想像している。しかし周りの友達は前向きなことを言ってくれない。「あなた」の目は「あの子」を向いているからだ。
2 『アスパラ』
あなたの視線追うと
必ずいるあの子の前を
通り過ぎてる事で
あたしに気付いてほしくて
この曲にも「あの子」が登場する。そしてここでもaikoは「あなた」の視線に注目している。「あなた」の視線を追うと、そこには必ず「あの子」がいる。だからaikoは「あの子」の前をわざと通り過ぎるようになる。「あの子の前を通り過ぎることで、あたしに気づいてほしい」からだ。
3 『恋堕ちる時』
見つめられる前にあたしが見つめる
ねぇ気付いてほしくて
この曲に「あの子」は出てこない。しかしやはり「あなた」は「あたし」を見ていない。だから「見つめられる前にあたしが見つめる」ことになる。一方通行の視線を、なんとかして両方向にしたい。そのために必死でもがく時、またひとつ曲が生まれる。
4 『初恋』
「まばたきするのが惜しいな」
今日もあなたを見つめるのに忙しい
aikoのスケジュールは「あなた」を見つめることで埋まる。aikoの手帳を埋めるのは商談でもなければ飲み会でもなく「あなた」に視線を向けることなのである。そして視線を向けるだけのことが、「まばたきするのが惜しい」ほどに極まる。まさにaikoを象徴する歌詞である。
5 ボブ
髪を切りました そうとうバッサリと
見てほしいけど 勇気がないのです
ここでaikoは髪を切っている。しかし「見てほしいけど勇気がない」という。さんざん「気づいてほしい」と言っていたaikoが、ここでは「見てほしいけど勇気がない」と言い出した。このややこしさがaikoの真骨頂である。視線を向けられることは自分が秤にかけられることでもある。だからこそ、「あなた」に見てもらうことには勇気がいる。「見て」と「見ないで」の往復運動で、aikoの心は揺れ続けるのだ。
以上
以上の曲を暫定的に「あなたがあたしを見てくれない時に聴くべきaikoの5曲」としておくが、こんなものはブログに載せても意味がない。私はみなさんに知らせるためにこのリストを作成したのではない。本当はスタバで隣の席にいたあの女に教えたかった。あの女に教えるために作成した。
本当は話しかけたかった。相手の男がトイレに立ったタイミングであの女の肩をポンと叩いて言ってやりたかった。あなたのような存在のために200以上の曲を生み出している人がいます。その名をaikoといいます。私はaikoではありません。ただの伝道師にすぎません。しかし私はほとんどaikoでもあります。aikoを聴くことはaikoになることですので、私はすでにほとんどaikoではあるのですが、そこは社会動物としての節度を守り、あくまでも伝道師という立場を固持したうえで、ほとんどaikoとなった私が、すでにaiko的世界に生きながらaikoを知らないあなたに言いたいことは、あなたは今すぐaikoを聴くべきだということなのです。しかしあなたは膨大な楽曲群にひるむことでしょう。ご安心ください。私がすでに5曲を選んでおきました。
それだけ言って、女にイヤホンを渡してやりたかった!
そして店を出禁になる。