見出し画像

DQX Ver.6のストーリーを終えて

2023年10月5日にリリースされたVer.6.5後期のストーリーを終えたので、その感想を記していきたいと思います。

なお、物語のネタバレ・賛否を熱く語ることになると思われます。これからストーリーを楽しまれる方は、終えてから見ていただける方がよいと思われます。




ストーリーを終えて感じたこと

本題を語る前に、Ver.6.4までの総評から。6.4とは今バージョン(6.5)の1つ前のお話までです。勇者の盟友レオーネの個人的な感情に振り回されすぎな感はありましたが、英雄たちの悲愴な過去を解き明かす冒険は印象的なものでした。特にリナーシェ、レオーネ、レクタリスの過去のエピソードは非常によかったです。英雄たちの人柄、強さ、過去のエピソードすべてにおいて英雄たるにふさわしいと思わされるお話ばかりでした。そんな英雄たちと最後の決戦に挑むVer.6.5です。

それでは、Ver.6.5の総評を述べていきます。







「作った人、6.5から変わった?」

と思わざるを得ないくらい残念な出来になってしまいました。

結末が納得できないとか、英雄が死んでほしくない、とかそういう感情的なレベルではありません。仮にもバージョンの最後のストーリーとしてリリースするのにあまりに完成度が低いと言わざるを得ない状態です。

冒険者の広場におけるディレクターコメント

ストーリーをプレイする前と後で異なる感想を持てるコメントです。これ、開発間に合わなかったのでは・・・?と思わざるを得ないワードがいくつか潜んでいます。

実際にはストーリーを作り直すことは出来ませんが、素人目線からも明らかにまずかったんじゃないの?という点が多数あります。まずは具体的にダメだった点を挙げていきましょう。

① ラストダンジョンの作り込み不足
主人公たちはいよいよラスダンに乗り込み、英雄たちと3PTに分かれ進んでいきます。これはver.5と同じ方式。
しかし、ラスダンにも関わらずエンカウントする敵はなし。一部の英雄のレプリカを敵として倒す謎。謎解きの内容・レベルともに無料のスマホゲーム以下の質。幹部として突如登場するジア・ネブラの無能っぷり。前触れもほぼなく挑むラスボス戦。ラスボス戦についてはこの後触れますが、ラストダンジョンは盛り上がりに欠ける稚拙なものであったことは間違いありません。というか、ダンジョンですらない。

② ラスボスに仲間やフレンドと挑めない
今回のラスボスはフレンドと組んで戦えません。それどころか、ラストダンジョンから完全にソロプレイです。
ラスボス戦が英雄だけと組んで戦うとか、一人で戦うシナリオなのであれば納得はできます。
でも、ラスボス戦がサポート仲間とは組めるのにプレイヤー同士で組めないというのは理由がない限り納得できません。
ドラクエ10ではストーリーをフレンドと一緒にプレイすることを楽しみにしているプレイヤーがたくさんいるはずです。ラスボスが組んで挑めないのことは、特別なスタイルの戦闘で仕方ないか、せめてDQXTVか広場で事前告知しておく必要があったと思います。
「こだわり」を感じられずに単にソロプレイにさせられたのは雑な作りと感じる理由になってしまいました。

ちなみに、ラスボスの演出の英雄のキャラカットインはスケール感もあり、すごく良かったです。

③ BGMの使い方
Ver.5くらいから感じていたことですが、BGMの使い方が雑ではありませんかね?場面や盛り上がりとミスマッチした使い方が多いのが気になります(特に冒険の旅)。
今作のラストバトルが「大空に戦う」と「決戦の時」だったのは、まぁ想定通りです。それしかないよねって感じ。でも、レオーネとの合戦で「勇者の挑戦」流す必要あったかなぁ?
説明するのが難しいですが、ストーリー中に流れてきて「うんうん、そうだよね」とか「うおお、きたー」という気持ちになかなかならない。もちろんストーリー自体の盛り上がり不足というのはあるのでしょうが。
とりあえず名曲流しとけば盛り上がるだろう感がどうしても出てしまっていて、場面と不釣り合いなBGMが残念です。

④ セリフ・描写の空気の読めなさ
Ver.6.5では、セリフや場面の描写に違和感を感じるシーンが多々ありました。特にひどかったのは、英雄たちが消えた中でユーライザの神化が解け、光輪が落下し蛍光灯のように割れ、おまけによくわからない生物に食べられてしまったシーン。
Ver.6.4でレクタリスの命そのものである光輪を託されたプレイヤーとしてはあまりにひどい茶番にドン引きした人も少なくなかったでしょう。
Ver.6.5前期の最後に神化の儀式を勝手に行おうとし、意識不明な状態だったユーライザが、ケロっとして合流してきたのにも違和感。最初ニセモノかと思いましたよ。
また、ラスボス手前で突然ハクオウが「お腹がすいてきました」というシーンも違和感が強かった。ハクオウは元々天然キャラではないですし、ユーライザと草餅の話で盛り上がるピクニック的展開は必要なのか?と思ってしまいます。
分かるんですよ。みんなで無事に帰ってまた笑顔で草餅を食べよう、を見せようとしたのは。でも、あの演出からでは違和感しか感じられなかったのが正直なところ。たとえば、ドラクエ7のガボがラスボス前に言った台詞なら納得できるんですよ。横からマリベルに突っ込まれて締まりますし。けど、ハクオウの言う台詞ですかね、あれ…。

無駄にドラクエらしさを狙って、ドラクエらしくならず大失敗した感じが印章強く残ってしまいました。

Ver.6.4までは心に刺さるセリフも多かった。Ver.6.3の最後のムービー(アストルティアに侵攻してくるジアクトの軍勢を英雄たちが撃退するシーン)は今見返しても質は高いと思います。ユーザーは最低でもこのくらいの期待はしていたでしょう。

⑤ 感情移入が難しい天星郷という舞台
天星郷の世界は美しくBGMともマッチしていて、とてもよかったです。キラマラしていて本当に楽しかった。また、英雄たちの人間味・背景設定もよかった(だからVer.6.4までは良かったという意見も実際に多い)。
しかし、肝心のそこに住む天使たちの無力さ、他力本願の無能さなどが浮き彫りになってしまい、何のために戦っているかという大義名分が完全にボヤけてしまっている。最終決戦前のハクオウが天使たちに放った「あなた方は戦わないんですか?」というセリフに「そうだそうだ」と思ったプレイヤーは多かったはず。
そんな英雄たちがフォステイル以外全員犠牲になったにも関わらず喜んでいる天使たちには怒りすら感じかねないです。

初代天使長レクタリスの言葉の重みよ

これまでのVer.3で登場した竜族や、Ver.5で登場した魔族たちは過酷な環境で自らの命を賭して故郷を守ったり新たな故郷を求めて戦う姿が多く、それがプレイヤーの心情を揺さぶりました。しかし、Ver.6にはそれがない(同じことはVer.4にもいえるのですが、こちらは主人公自身の運命ともリンクしているためまだ納得できます)。基本的に女神ルティアナが本来すべき役割を肩代わりさせられているに過ぎないのが、感情移入しづらく何のために戦っているのだろう?と感じてしまう一因だと思います。

⑥ ジア・クトの存在感のなさ
敵であるジア・クトですが、まず組織としてバラバラ。
親玉であるゲノスが完全無欠の強さならいいですが、あっさり倒されてしまう口だけ達者なラスボス。
その上、部下も無能に次ぐ無能。最初に出てきたジア・ルミナが一番存在感があったくらい。
プレイヤーとしてもゲノスよりレオーネとの戦いの方が思い入れが深いくらいで、ゲノス本体は最初から最後まで存在感がない上に弱いラスボスになってしまった。もう少し何とかならなかったものかと思わざるを得ないです。
これまでのラスボスのキュロノス(ver.4)は実際に世界を滅ぼしましたし、ジャゴヌバ(ver.5)は女神を滅しなおかつあの巨体。女神ルティアナと戦う場面のムービーは圧巻でした。ナドラガ(ver.3)もスケールの大きいラスボスあり、放置すればアストルティアに甚大な被害を及ぼすところでした。マデサゴーラ(ver.2)は淡々と世界を塗り替えようとし、勇者姫の兄トーマの仇という名分もあり、ラスボスとしての存在感は十分にありました。
しかし、ゲノスは過去に青い妖精を滅ぼしたとかいう実績はあれど、その凄さが分かる描写は無し。魔眼の月が砲撃をしたらヤバいのは分かるのですが、結局最後まで何も出来ないまま終了…。

ただでさえ、ストーリー設定が充実しているとは到底いえない出来であることに加え、演出面の不十分さが今回の大きな不評につながってしまいます。

6.5は製作者の未熟さはもちろんですが、責任者もきちんとチェックしたのか、本当にこれで許可したのか聞いてみたい。それとも、やっぱり間に合わなくなってしまいとりあえず形にして出すという選択をしたのだろうか。

ファンはきっとストーリーがどんな展開であれ最終的には受け入れるのだけれども、今回に関しては作り込みの雑さから???となる展開が多すぎるのです。もう少し愛情をこめて作ってほしかった。
考察とかする以前のあまりの完成度の低さに対するプレイヤーの不満が冒険者の広場の感想にも表れているのだと思います。

こうすればよかったのでは?Ver.6.5

以上の反省点をふまえて、こんなエンディングが見たかったというifストーリーを考えてみました。所詮は素人のレベルですが。

こうなっていたら盛り上がっていたかもしれない?ラストバトル

※ 魔眼の月は巨大化した時に破壊済み
ついに天星郷やアストルティアに攻めてきたジアクトの幹部数名。
天使たち英雄たちは必死に応戦し、主人公たちやアンルシア・パドレ、魔界から駆けつけたユシュカらもアストルティアのために戦う。

5人目のNPCを次々に代え、バトルに次ぐバトル。バトルが多すぎる懸念があるならムービーにしてもいいと思います。ジア・クト侵攻の場面やルティアナ復活からジャゴヌバとの対決であれだけ迫力あるムービーが出来たんだから、英雄たちの戦いをカッコよく描けたはず。

訳の分からないラストダンジョンはいっそのこと無しにして、迫力あるバトルだけを展開していきます。

アンルシアやパドレ、ユシュカといったアストルティアの精鋭たちと共に幹部たちを倒し、いよいよジア・レド・ゲノスとの対峙。
ゲノスはジャゴヌバより強大な存在であり、ダメージをほとんど与えられない上、主人公たちは全滅してしまいます。
とどめをさされそうになったその時、ジア・ルーべに庇われ、神化を果たしたユーライザによって主人公たちは癒され、英雄(レオーネ以外全員生きているルート)と共に主人公が神化し、光輪の上にて共闘でゲノスに挑みます。(ルーベはこういう役割であってほしかった…)

神化した主人公はサポート仲間とは一緒に戦えるレベルではないあまりの強さ。したがって、今回のラスボス戦は主人公+英雄3人。この3人はラストバトルが進むごとにメンバーが変わっていくことに。

第一形態 主人公、ハクオウ、ラダガート、リナーシェ
第二形態 主人公、カブ、ナンナ、ドルタム
第三形態 主人公、ユーライザ、アシュレイ、フォステイル

みたいな感じで。難易度は高くていいと思います。何回も全滅して試行錯誤して再挑戦するボスがいたってラスボスなんだから納得でしょう。

せっかくの英雄とのストーリー、存分に全員と共闘したかった。更にバトルにこだわるなら、仲間の組み合わせに応じて事前に主人公の職業を変更しながら戦えるようにしてもよかった。神化しているんだから、神官がいなくても途中で転職できる何でもアリ状態です。
人によってはオール天地とかでも挑戦できて面白いと思うんですけどね。
複数職必要にすると新規が〜とか言うけどラスボスに挑むのにレベル上げしてこいは、当然なことだから…。

いずれにしても、ラストバトルのスケールが小さすぎました。第二形態だけ置いときゃいいって考えはあまりに古すぎる。ここだけでしか味わえない新鮮なバトルを考えてほしかったです。(それが最終戦の英雄のサポートとトドメの演出だけだとしたらあまりにもショボい。)
そこまでこだわった結果、「今回はソロ討伐です!」なら反論する人も少なかったでしょう。今でも何でフレと組んで倒せないの?と不満です。

さて、激闘の末ゲノスを討伐した主人公と英雄たち。神化を果たした英雄たちは現世に残ることは出来ず、主人公にエールを遺し消えていく。フォステイルも「またどこかの時代で会えるといいね」という台詞を遺し、英雄たちと消えていく。そのままEndingでいいんです。最後の宴、必ずしも必要ですかね・・・。

最終的に過去の人間である英雄たちを残さないルートを選ぶとしたら、こういう形の方が良かったんだと思います。Ver.6.5前期のアシュレイのときから何か理由をつけて英雄を一人ずつ始末していこうという方向性が丸見えになってしまいました。とにかく、英雄たちの散り方があまりにお粗末でした。


Ver.7に対する期待

Ver.6の結末はハッキリ言ってナンバリングを名乗っていいレベルの出来ではありません。しかし、今後の巻き返しには期待しています。

Ver.6.5の出来は残念でしたがVer.6.4までの出来は十分満足のいくものでした。また、天星郷の世界観はとてもステキで冒険は楽しかったです。人間、最後の印象が悪いとすべての印象が悪くなってしまうものです。私は、Ver.6のすべてがダメだったとは思いません。今回は全否定の記事でしたが、それだけは添えておきたいと思います。だから、Ver.7のストーリーも期待しています。

感想広場でもどなたかが言っていましたが、自分もドラクエは王道のストーリーでいいと思います。一方で、新しい試みもどんどんしてほしい。たとえそれが失敗してもいいと思います。

ただ、そこにドラクエに対する愛情と情熱があることが絶対に必要です。そして、この熱意はプレイヤーに必ず伝わります。
今回のストーリーが軒並み低評価である理由は、プレイヤーが制作側の熱意を感じ取ることが出来なかった、そのレベルのストーリーに仕上がっていなかった点にあります。シナリオ班と責任者たちはしっかりと反省をし、ver.7のストーリーの充実を目指して頑張ってほしいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?