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【BTSで韓国語】 踊れる? 踊れない?

前回に引き続き、韓国語勉強に合わせて、最推しジンくんへの想い(の一部)を語りたいと思います。

前回はこちら ↓

えぇ、分かってます。このタイトルで彼を語るのは結構リスキー。ダンスの話題で度々炎上してるのを見ますし。この手の話は間違って捉えられると、多くのジンペンからお叱りを受けるものだと思う。だからこの文章は何日も前から考えて準備していました。

その前にまずはいつものお勉強。今回は「できる/できない」の表現をまとめようと思います。RUNの3節目の後半です。

너무(とても)
늦었어(遅かった)
늦었어(遅かった)
너(君)
없이(無しに)
(生きる)
(術は)
없어(ない)

不可能の表現①

まず、講座などで学ぶ基本の形から。

〜를(パッチムあり)
/ㄹ(パッチムなし)
+ 수 없다 
= 〜手段ない(できない)

살다 というのが「生きる」「住む」(つまり live)なので、活用すると

살 수 없어 =「生きられない」

없다(いない、ない)の反対は前回やった通り 있다(いる、ある)なので

살 수 있어 =「生きられる」

じゃあ、今回はなぜ 순 なのか。

수 は元々漢字の「手(しゅ)」から来ているらしく、「手段」「術」みたいな感じに捉えることができます。それに「〜は」という意味の助詞 ㄴ を加えると、수 が強調されて、ニュアンスが変わるってことではないかと。ちなみに살 수가 없어というのも言葉として存在する。こっちは「〜が」が入ってるイメージです。

一見ややこしいですが、日本語に置き替えればイメージしやすいです。「生きられない」「生きる術がない」「生きる術はない」はそれぞれなんか違うのと同じかと。私の語彙力ではこれ以上うまく説明できないけど。

これを 하다(する)で活用した「할  있어(できる)!」と言えば、料理上手の兄2人が弟たちの指示だけで料理をするRun Ep.123のこのシーンがお気に入りです。残り時間がなくて無理だという状況でも前向きな発言を繰り返す二人に癒された。ジンくんはこういう時にお兄ちゃんらしさが爆発する。つまり好き!!

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不可能の表現②

一方、会話などで広く使われるのが

못 ~ = 〜できない

 動詞を普通に活用して前につけるだけ。つまり、하다(する)を使って 못 해 にしても①と同じく「できない」になります。能力的にできない、状況的にできないなどの違いがあると解説している人も見ますが、ぶっちゃけあまり区別されてないと聞いています。

ついでに良い機会なので説明しておくと、  해は モッへではなく、モッテと発音するそうなので注意。ハムニダのムに続き、例外の読み方のひとつです。パッチムのㅅが来る次の文字がㅎの場合にのみ起こる現象らしい。私、この例外読みがすごく苦手…いちいち気付けなくないですか…。慣れるしかないのかなぁ。

よく考えたら 하다  は活用すると特別に 해 になるという説明も流してしまいました。これはまた別の機会に回します。

不可能の表現③

〜를(パッチムあり)
/ㄹ(パッチムなし)
+ 줄 모르다 
=〜方法知らない

할 줄 몰라 =「やり方(を)知らない」

줄 は「方法」。②の 수 と区別つけにくいのでここはスルーして、後半に注目。 この 모르다 (分からない、知らない) 알다(分かる、知る)はかなり頻出単語なのでこの機会に押さえます。

알다 - 다 + 아 + ㅆ어 =  알았어(分かった)! 

모르다 - ㅡ다 + ㄹ + ㅏ + 요 = 몰라요(知りません).

ちなみに何か質問されて「分かりません」という場合は 모르겠어요. (モルゲッソヨ)の方が無難なのだそうです。~겠어요は推量の語尾で少しニュアンスが曖昧になる。例えば道を聞かれた時に、ストレートに「知らないです」って言うとちょっとキツく感じる。「どうやら分からないみたいです(すいません)」的なニュアンスの方が優しい感じがするってことだと思います。身に覚えがないものを責められた時とかに「知らないよ!」みたいな感じだったら몰라요の方なのかな。

ダンスを踊ったことがない

それでは、勉強はここまでにして、ジンくん語り第2部を始めようかと。

事前に断っておきますが、ジンくんの心のうちは結局ジンくんにしか分からないことなので、今から述べることは全て私の憶測です。あくまで私が自分の経験を勝手にジンくんに重ねているだけとも言えます。その上でお読みください。

私はダンスが大好きな友人に誘われて、ダンスをやっていた時期があります。最初は人数合わせのためで、未経験でも大丈夫なポジションだからと言われ、軽い気持ちで承諾しました。

練習を重ねて動きはできるようになりました。でも私は特にダンスが好きなわけではないことに気付いてしまった。音楽は好きだし、人が踊っているのを見るのは好きだけど、自分が誰かと踊るのは「作業」でしかありませんでした。観客席で見てたらこの何倍も楽しめただろうにという感覚。でもそれを友人に言い出せなかった。

動きがうまくできないとか、覚えるのが遅いことよりも、モチベーションが上がらないことが一番辛かったように思います。踊りながら「何でこんなことしてるんだろう」という黒い感情が生まれて自己嫌悪。踊れば踊るほどテンション下がるってことある? 私は心のない人間なのか? 練習量が足りないだけだと信じて努力したし、笑顔を作る練習もしたけど、やればやるほど心は踊ってないのが自分で分かりました。

だからNew Year Liveのトークで「僕はダンスを踊ったことがないんです。僕のは動きなので」とジンくんが言った時、ドキッとしたんです。

念押ししておきますが、私もBTSメンバーは全員ダンスが上手いと思ってます。技術的に誰が下手とかはない。でも正直言うと、表情には違いがある気がする。特に自分がメインでない時。やはりダンスそのものを楽しんでいるのはホソク。ジミンとテヒョンは歌の世界に没頭しやすい陶酔型。ユンギとグクは持ち前の運動神経で早く習得して楽しむ余裕がある。そういう意味で、ナムさんとジンくんは特にダンスが好きというわけではないんだろうというのは分かる気がします。

でもナムさんは元々リーダーだし、曲作るし、ラッパーとしての地位も確立していたので、もちろんダンスも努力するけど、専門分野ではないという落としどころが本人の中にもあったと思うんです。でもジンくんは全て未経験からのスタート。ひたすら「ファンを喜ばせたい」「足を引っ張りたくない」という思いだけを支えにして、プレッシャーと戦いながら練習を積んできたのかと思うと、胸が張り裂けそうになります。

ジンくんは度々色々な場で「RMがライバル」「ダンスが苦手」とか自虐ネタを口にしますが、彼がよく言う自虐ネタって場の雰囲気を壊さない程度に本音をぶちまけてストレス発散しているんじゃないかと思うんです。私はそういうことさえ冗談でも言えなくて溜めて溜めて爆発してしまった人だから、そうやって小出しにするジンくんは賢いなと思ってる。仕事においても家庭においても、いかに明るく不満を言ったり自分の意見を言えるかって結構大事。

そして、こういう自虐ネタが出るたびにテヒョンが真正面から否定しているのをよく見ます。それはよく美談として語られてるけど、私はあれを見るたび、本当にあの2人は性格が違うんだろうなと感じています。その時にジンくんが返した「皆さんがどうして分かるんですか」は少し彼の本音が垣間見れたような気がした。

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でも、それは決して相性が悪いということではなく、お互いの違いを認めた段階になると「そうか、そういう考え方もできるのか」って壁を崩せる存在になると思うんですよね。これってなんか花様年華の中での関係みたいだけど、あの2人はリアルでもそうなのではと思える場面がちょくちょくあるなと感じています。

皆を笑顔にしたい

私はパフォーマンスを成功させた後に限界がきました。私は観客も含めて騙したのか。チームの皆は心から喜んでいるけど、私の心は同じところにいない。「やめさせてください」と泣いて訴えました。今思えば、良い評価を受けたのならそれでよかったのでは? なぜその好意をそのまま受け取れなかったんだとも思うけど、当時はなぜかそうでした。

それと比べることは大変おこがましいですが、そういう過去があったので、ジンくんがビルボードで1位をとった喜ばしい時にバーンアウトになり、Abyssを発表するに至った経緯を読んで、えらく感情移入してしまいました。

ただ、私とジンくんには決定的な違いがあると思う。それが、ARMYや他のメンバーに対する想い。自分のパートじゃない時に表情が硬い時があるとさっき書きはしましたが、ライブでARMYと過ごす時、パフォーマンスの途中でメンバーとアイコンタクトをする時、彼はすごく素敵で自然な笑顔を見せる。

ジンくんは「JINとキムソクジンを分けている」「明るい部分だけお見せしたい」とよく公言していますが、それって一歩間違うと、表裏がある、自分を偽っている、無理をしていると捉えることもできると思います。それこそ花様年華で彼が与えられた役も、仮面を貼り付けた偽りの自分に苦しんでいた。そして割と初期は本当にそうだったのではないかと思う。

でも、彼は「他の人を笑顔にするために自分を犠牲にする」のではなく「僕自身が幸せになるために人を笑顔にするんだ」と言っている。あくまで自分が主語。彼が「人の笑顔を見るのが好き」なことに嘘偽りはないから、彼の言動は強くて一貫性があるんだと思います。

LOVE MYSELF「自分を愛する」ってたまに自己主張するためだけに使っている人も見かけるけど、要は、仮に完全な自分のコピーがいた時、その人を愛せるかということだと思うんです。ということは、自分が好きな自分になれるよう努力をする一方で、ある程度の短所は受け入れる必要がある。納得いかないことはきちんと向き合って解決する。自分がやられて嫌なことはしないし、自分がやられて嬉しいことはする人になるってこと。それって実はすごく難しい。でも彼らは共同生活を通してそれを実践していったから、それぞれの存在が良い化学反応を起こしていったんだと思います。

2019年のFESTAのトークの時にジンくんがした話の流れからテヒョンが言った言葉が印象に残っています。「幸せの基準が変わった。前は自分が幸せになることだったけど、今はメンバー7人が幸せでいることが自分の幸せになった」と。

また別の時には、ジミンがかつてかなりストイックに体調を崩してまで練習していた時、ジンくんと話して価値観が変わったと言っていました。ナムさんもそう。全員分は語りませんが、他のメンバーにもそれぞれそういうエピソードがあり、ジンくんに一目置いているのが分かる。結局、BTSのこの「自分が幸せになりながら周りも幸せにする」精神はジンくんなしには成り立たなかったんだよな、と思うのです。だから私にとって彼が人生史上最高の推しなんだ。

Permission to Dance

ということで、この曲に戻りましょう。この曲のジンくん、輝いている感じがする。今後も色々なパフォーマンスが楽しみですね。

Butterからジンくんの踊りが上手くなったという件でなんかジンペン界隈ゴタゴタしてたけど、私は表情が変わったなと感じています。吹っ切れた?乗り越えた?感。Abyssを経て彼の精神面が変わったのか、単に私の見る目が変わったのかは分からないけど。

私はといえば、ダンスが嫌いな人間だと思ってきましたが、結局やめて冷静になってから、「それでも音楽に合わせて思うままに体を動かすのは楽しいよな」と思えるようになりました。だからライブもクラブも好きです。人に踊るのを見られたり、決まった振付けに縛られることに魅力を感じなかっただけ。あの頃はまるで自分が人でないように感じていたけれど、そんなことはなかった。

そうだよね。ダンスを踊ることに許可はいらないように、どこからがダンスで、どこからがダンスじゃないという基準も存在しないのだ。

うちの3歳児がBTSのMVに合わせて純粋に楽しそうに踊っているのを見てると特にそう思います。ロボットダンスのような不思議な動きなんだけど(笑)

今回の曲の最後のあたりの振り付けはちょっと覚えてうちの子にも教えてみようかなという気にさえなってきてます。心の余裕がでてきた今なら、一緒に踊って楽しいと思えるかもしれない。

※続き書きました!


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