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私の育ち

過去との邂逅はいつだって必要だ。

きた道を引き返し、歩く。昔のこと。

実家は周りから嫌われていた。働き者の曽祖父は、出稼ぎや農地経営などで順当に資産を増やしていったらしい。周りはそれがいけ好かなかったのだろう。

父は県外の人で、ずっと地域に馴染めないでいた。私はといえばこれもまた変わり者で、可愛げのない子どもで。なぜだか分からないが、向かいの住人はベランダから双眼鏡でうちを監視していた。気持ち悪いなと思った。お祭りで射的の列に並んでいたら酔ったどこかのオヤジが割り込んできて、睨みつけられた。ある年の子ども会では私たちを除いた全員で仲良く二次会へ行っていたらしい。次の日になぜこなかったの?と妹が聞かれた。私は聞かれもしなかった。

通っていた小学校では「野球部」が幅を利かせていて、所属していない人間は除け者にされた。それくらい皆が皆、野球をしていた。私は野球をしていなくて、話題にもついていけないし、疎まれて無視されたり、嫌がらせをされたりするようになった。その些細な嫌がらせは上からも下からも執拗に行われていた。

近所では変わった子、学校ではいじめられっ子。家の中にあっては毎日、祖母と父が怒号をあげ、母は酒に沈み、私が小学校に上がる頃には兄が、その数年後には姉が家を出た。妹と2人、毎日のように遊んだ。

居場所はなかった。自分の部屋を作ったが鍵なんかないからプライバシーは存在しない。父親は部屋にこもる私が気に食わず、ジリリと大きな、耳障りな音のするベルを私の部屋の隣につけた。なにかあるとはそれがなり、呼び出され。心がずっと落ち着かない毎日。自分の家だと思ったことはなかった。

人は、人との関わりの中で心を大きく育てるのだと思う。私は人との関わりが希薄で、そういった成長は期待できなかった。鬱々としたまま、小学校を卒業し、中学校を卒業し、高校へ。周りに流されるままに進学した。自分がやりたいことを主張してもワンマンな父からすぐに上書きされるのが目に見えていたから諦め癖がついていた。

この頃を思い返していつも上がるエピソードがそれらだ。しょうもない人生だなと感じる。自分がもっと上手くやれれば幾ばくか幸せだったに違いない。そして人は、子どもの頃から大人になっても、年をとったってすることがなんら変わらないんだと知っている。いじめ、嫌がらせ、陰口に差別。しょうもない生き物だなと思う。

朝。冴えない頭で打ち出せるのはこの程度のこと。

私は今も昔も、人が嫌いだ。

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