買い回り

 "ブーッ"と、けたたましく車のクラクションが鳴る。進行方向 右手側からゆるゆると出てきた白色の自動車。その運転手の婦人が、右折しようとした折、これまた右折しようとしていた私の車に驚き鳴らしたものだ。道幅はほぼ同じで一時停止がないにしてもその道は、習慣的に婦人側が道を譲るべきところだがそれを勘案しなかったとしてもだ。進行方向 左手側から来る車が優先されると規定されているはずだ。つまり婦人、過失割合は貴女の方が高いのですよと思いながらも、気を付けなくてはなとも思った。事故を起こすような危険な場面ですらないというのが私の認識だが人は、時に残虐だ。自分が気を付けるに越したことはない

 向かった先はスーパー。特売の品だけを攫いに少し足を伸ばしたこの店、私が初めて配属された店舗だ。異動後に建て替えられたので内装に馴染みはない。スタッフも一部を除き知らない顔…とはいえ、元から同僚と関わりが薄かったが。さっさと買い物を済ませて表に出る。店の向かいには〇〇信用金庫。新入社員の頃、手持ちの口座では手数料がかかるからと会社に言われ無理やり口座を作らされた思い出深い銀行だ。まったく、反吐が出る。そう思いながらもほんの少し呆ける。あの頃から変わらず働いているスタッフ。変わらず営業している店。変わらない風景の中で浮くのは私の存在だけだと感じた。実際はもちろん違う。感知していないだけで変わっていくものは多い

 数秒で回顧を済ませ ふい と車に顔を向けて、バックをぶら下げ歩き出す。私の歩は昔から早い。都会に住まう人は歩くのが早いと言うけれど、この田舎町から東京へ行った時にはそうでもないなと感じたことを思い出す。東京は都会だ、空が狭いと言うけれどそれも大したことはなかった。たぶんそれはたとえニューヨークに行ったって変わらないだろう。人がゴミゴミしいと感じるのはどこであっても同じだ。都会だ田舎だと線を引き人を小馬鹿にして優位に立つ。いわばマウントを取るという行為。都会から田舎に引っ越した人間を排他する。これもマウントを取る行為。人は概ね変わらない。馬鹿で、愚かだ。そして弱く醜い。皆がそうなのだから仲良くすればいいのにね。そんなわけで私は人が嫌いなのだ

 帰路。その道すがら近所のスーパーへ寄る。季節の変わり目は野菜の価格が変動するので、特売はきっちり押さえていきたいところ。まる得のキャベツをカゴに入れ、さっきの店よりも数円安い人参を三本つまみ。あら、塩大福が見切り品。これも帰ったら食べようと手に取って会計へ。"お願いします"とカゴを差し出し、"支払いは電子マネーでお願いします"と声をかける。この田舎町にも電子マネーはあるのよ。決済を済ませ"ありがとうございます"とお礼を述べてサッカー台へ。いつもの流れ。その流れのままに併設されているドラッグストアで牛乳とヨーグルトだけを買い足す。生活圏ではここが一番安いんだ。"牛乳の人"として覚えられているだろうか。どうでもいい。小さい袋にパンパンに詰めて車、そして数分の家へと帰る。

 私の日常。今日も空はエモーショナルに青。秋晴れが心を照らすが私に感情は浮かばない。ただあるのは、平静が長く続けばいいという願い。だけどきっと、私の人生には無縁なものだと思う。この暇も束の間ならば、今はこれを楽しみたい

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