立ち位置と立ち回り

小学2年生の時に、休み時間にクラスの男女で鬼ごっこをしていた。
その時に、クラスの人気者のS君と正面衝突をして、私は血が出るくらいの怪我をした。
一方でS君は、奇跡的に無傷だった。
大きな音がして、転んだものだから、クラスメイトが私たちに駆け寄る。

みんな、S君大丈夫?と口を揃えて言う。
私の名前は聞こえない。
これは、私がS君に怪我をさせている状況だ。
S君ごめんね。と咄嗟に口から出た気がした。
クラスの女の子たちに、ほんとだよ。の一言

どこからどう見ても、血を流してるのは私だし
故意にぶつかったのではないのだから、
私だけが悪くないはずだが、
クラスの人気者とぶつかったことが罪なのだ。
泣くのを堪えて、保健室に行った。

ああ、私は誰かに心配されるような
声をかけてもらえるような人間ではなかったのだ。
運動も勉強もできるクラスの人気者のS君の
立ち位置が羨ましく、妬ましかった気がした。

差別ではなく、自分の好意を優先する、子供の無邪気さに、子供の私が殺された。
私の立ち位置が悪い、普段の立ち回りが悪いが故に
誰も私の名前を呼ぶことがないのだと痛感した。

そんな些細な出来事を、25歳になっても
覚えていることから、私の何かを形作る要因になったことは間違い無いだろう。

自分の立ち位置を見極め、周りに求められる立ち回りをしなければならないと言う強迫観念
そこから外れてはいけないよ。
今日もヘラヘラしてニコニコして、相手が望む私をやれています。

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