自分が人に「見えている」のが不思議という感覚

いま 精神科に入院している。
なにか病名が付くような症状が出たというわけでもないのだが、なんとなくしんどくなって、眠れなかったり、イライラしたり、死にたくなったりすることが続くので、母から入院したら?と勧められて、任意入院というかたちでしばらくここに居る。3年前もここに入院したことはあるがそのときは強制的な入院で、部屋に鍵もかけられ行動が制限されていた。それに比べたら遥かに、自由。さっきも屋上庭園でひとりはちゃめちゃ踊りをしてきた。空が広い。


どうしてあなたはわたしが見えているのだろう


そのような疑問の感覚を、この頃ずっと持っている。いや、子どもの頃からあった気がするけれど、その感覚が強くなりすぎて、入院することになったのかもしれない。入院中のいま、少し弱まったけれど、まだある。
たとえば午前中の、集団の作業療法の時間、わたしはふっと席を立ちお手洗いに行こうとする。
すると作業療法士の方がドアを開けようとするわたしを見つけて
「お手洗いですか?」と声を掛けてくれた。
そこではっとする。あなた、わたしが見えているんですか。
そういえば1時間前くらいにあなたから「お手洗いに行くときや病室を出るときは一声掛けてくださいね」と忠告されたばかりだったのに、わたしときたらもう忘れてふっと席を立ってしまった。
透明のわたしはトイレの回数が多い。
作業療法室に戻って簡易的な編み物の続きをする。プラスチックの網に毛糸を絡めてゆく作業なのだが、実はこれ、このやり方で良いのかよくわかっていないまま誰かに尋ねることもできずに何となく進めている。ミントグリーンの毛糸を選んだ。わたしの爪に塗られたマニュキアの色と、いま着ているフリースの色とおんなじミントグリーンなのだが、それに気がついた誰かが「この色好きなんですね」と話しかけてくれることをどこかで期待しながら、毛糸を絡めてゆく。ミントグリーンの網目がすこしずつ白のプラスチックを侵食してゆく。まだ誰からも気づかれていない。ミントグリーンが好きなわたしを。実はまだ、このやり方で良いのか分からないまま編み進めているわたしを。

こういうところが透明なのだ、と思う。

 それで悲観することもない。卑屈になっているわけでもない。むしろ注目が集まったり、突然話しかけられたりするほうが、びっくりして緊張する。透明のまま、ふっと席を立ってお手洗いにいき、透明のまま、屋上庭園へ行きはちゃめちゃな踊りをする。それがわたしには馴染んでいる。透明なのではちゃめちゃに踊ることができる。わたしの姿は誰にも見えないから。

と、思っていると「お手洗いですか」と突然話しかけられたり、「昨日ゾンビみたいに走っているところを見たよ」と報告されたりして仰天することになる。
あなたは わたしが見えていたの
不思議な感覚に陥る。


25歳のとき、自閉スペクトラム症と診断された。

あまりにも仕事ができなかった。飛び降りか、大量服薬か。首つりという手もあるが大量服薬にした。レジ打ちが壊滅的にできなかった。


両親のことはだいすきだが、「このひと誰だ?」と思う瞬間が昔から頻繁に起こる。
なぜこんな近くに他者がいるのだ? と違和感が発動する。

多分わたしは直径1メートル~5メートルくらいの伸縮する透明なカプセルのようなものに入っていて、そこから世界を眺めている感覚があるのだけれど、そのわたしを包むカプセルの領域に侵入されると、それが両親であれ「誰だ?」という違和感というか他者感が、警報装置のように作動するのだと思う。

この話は母親にしか、したことがない。主治医にも、誰にも。
「あなた昔からそれよく言うけど全然わからない」と母は言う。
入院中のいまも、病室には毎日お医者さんや看護師さんやソーシャルワーカーさんや、いろんな専門職の人が来るけど、誰にも話していない。話そうとも思わない。
そういうところも、透明人間らしいとおもう。端から理解してもらうことを諦めていて、自分の話をあまりしたがらないところ。

厳密にいうと、わたしは自分が人間じゃない感じを抱いているので透明「人間」ですらないとおもう。透明存在、という感じか。
わたしからは見えているので透明ではないことになるが、人間でもないな、と思う存在って周りに結構いる。人間の姿をしているけれど、このひと本来人間というより鳥だな、とか天使だな、とか。
この精神科に入院している人はほぼ、人間というより妖精とか、そっち系の存在だと思う。
さっきもデイルームで、妖怪に近い人に話しかけられた。
「さびしいのよ」と言われて一緒にTVを見た。格付けチェックのバラエティ番組。

「退院してもこの番組見ると入院中のこと思い出すわきっと」と妖怪は言った。
「この番組、長いこと続いてますもんね」とわたしは答えた。
「そうなの長いわよ~」と妖怪は楽しそうに笑う。

コミュニケーションに常々苦手意識を持っているわたしだが、なかなか上手な受け答えができたな、という実感を珍しく持てた。コミュニケーション上手な人っぽい返しができた。
病室に戻ってからもうれしくて「この番組、長いこと続いてますもんね」と呟いてしまった。


そういえば妖怪に話しかけられたとき、あまりびっくりしなかった。
人間に話しかけられるといつも驚くのに。
ここにわたしの存在の秘密が隠されているような気もするがわからない。
もう少し考えてみるか。
いまは夜8時。消灯時間まであとちょっと。

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