10代の歩み その② ベースに夢中

ベースはかっこいいの知ってた

当時の事は記憶が曖昧なのだけど
誰かが言った

『俺たちバンドやらね?』

の計画は当時中学生がギターをやりたがるブームもあって
割とすぐに決行された気がする。

で、誰がどのパートやるってなった時に
当時はギターのFのコードが抑えられないor
じゃんけんで負けた人がやるパートであるベース(w)を
なぜか進んで手を挙げた。

というのも確か音楽の時間の自習の時に
We Are The Worldのドキュメンタリーが
教室で上映されていて
その中でLouis Johnsonがバッチバチに
ベースを引っ叩いていてそれが鮮明に記憶にあって
ベースがかっこいいって事を知っていたから。

↑今見るとこのシーンって一瞬なのね。。

それとなぜかうちには従兄弟がやらなくなって
もらったエレキギターがあったから
ギターもベースも両方触れるしいいじゃん
って気持ちもあった気がする。

そしてギター3人、ベース1人、ドラムはまだいない、、
というありがちな編成が出来上がり
当時コピーする事が流行りだった
LUNA SEA、BOØWY、GIGGY、X  JAPANとかを
Metallica、Megadeth、MR.BIG、Mötley Crüe
SKID ROWとか
みんなでコピーしたもんです。
この辺はバンドスコアも手に入りやすかったし。

楽器屋ではバンドスコアを読み漁り(買え)
GIGS、バンやろ、ロッキンF、などなど
バンドっぽい雑誌を借り漁り(買え)
練習をして知識を深めたもんです。

ミクスチャー全盛期ベースがイカす

高校も"軽音部"が盛んだから
って理由で進学先を決めてた俺。
その頃Red Hot Chili Peppersとか
Rage Against the Machineとか
いわゆるミクスチャーが流行っていて
なんと素晴らしい事にベースが滅茶苦茶
かっこいいのが多くてコピーしては
興奮して夢中でした。
ベースマガジンを毎月買うようになり
新しいテクニックとか練習法をむさぼりました。

プロになりたい

田舎でそもそもベースやってる人口が少ない中、
ちょっと上手い奴扱いされていたり
10代のバンドのコンテストで
長野県代表になったりと悪い刺激もあり
16才の頃には東京に行って
プロになりたいと思ってました。

でも不思議とバンドでデビューしたいとか
そんな気持ちはあまりなく、
スタジオミュージシャンになりたかった

建前としての理由は
本当に上手くないとできないから(かっこいい)

現実的な理由は
バンドは解散すると飯食えなくなりそうだから

うん、謎のプロ意識(笑)

実際はプロの仕事ってもっと複雑に
色々あるのだけど当時はベースのプロって
バンドかスタジオミュージシャン
しか知らなくて2択なら後者の方が
自分は可能せがあるかなって思い

19才の年に単身上京して音楽の専門学校へ。
続く

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