真昼にだって煌めくシリウス
3月に引っ越した新居は、大きな窓から空が気持ちよく見える良い部屋だ。6月に入ってから、遮光カーテンの隙間から青色の空が見える時間が長くなった。窓の前にいると、そのカーテンの隙間から部屋に射し込む青色がきれいで、思わずじっとその光を見つめ続けてしまうくらいには好きだ。外の景色とは遮られて、ほんのり暗い部屋の中から見える青が、まるでじゅりみたいだと思う。
確か去年も青い空を見て「じゅりだ」って思った日があったような気がする。その日は午前中から会社で社長に散々と言われて落ち込んでいて、お昼ご飯を買いに行こうと思って外に出て、コンビニに向かっている最中だった。とぼとぼ歩きながら空を見上げたらとんでもなく大きな青がずーっと向こうまで広がっていて、別にそんな空を見たくらいで全部がなんとかなる訳でもないことは分かっているのに、白い雲さえひとつもない、真っ青な空になんだか救われたような気持ちになったんだ。
そんな時間が遠い昔に思えるくらいに去年とはまるきり環境が変わって、それでもわたしの生活の中にじゅりがいて、わたしは変わらずにじゅりのことを好きでいる。その事実がすごくすごくうれしくて、幸せなんだ。
誰かをずっと好きでいることって、やっぱりすごく難しい。大人になって、仕事をするようになって、色んな人と出会って、別れて、誰と一緒にいて、誰と一緒にいないかを子供の頃よりももっと自由に自分で選べるようになって、誰かを選び続けることとか、誰かを思い続けることの難しさを知った。昔はもっと無責任に、人のことをずっと好きでいられると疑いもしなかったのに。
だから、今年もじゅりのお誕生日に合わせて、こうやって言葉を残せることをとても幸せに思います。
じゅり、29歳のお誕生日おめでとう。
あなたがアイドルとして生きてくれているおかげで、あなたを好きでいられる。あなたを好きでいるというだけで、幸せになる人間がここにはいます。ありがとう。
わたしは本当に期限を守るのがへたで、待ち合わせとかも未だに遅刻したりとかしてて。どうしようもないところがまだまだあるんだけど、でもそのおかげで今、6月14日の朝にカーテンの隙間から見えるすごく綺麗な青を浴びて今こうやって言葉を残すことが出来ている。
わたしの人生にとって6月という月は、12ヶ月の中でも大切にしている日が沢山ある月で。
そのひとつが6月15日。
わたしの大好きで大切で、かけがえのないアイドル、田中樹さんのお誕生日。
去年の2023年6月15日から、今年の2024年6月15日にかけて思った沢山のことを、残しておこうと思う。
去年から今年にかけて、本当に色んなことがあった。アイドルって存在のことを好きになるってどういう事なんだろう、アイドルのことを好きでい続けるってどういう事なんだろうかって考えながら生きていたけれど、去年はそれに加えて「じゅりのいる事務所のアイドルを好きでいること」についてもすごくすごくよく考えた。あの頃のわたしは、毎日毎日ネットに流れる意見の波に巻き込まれて、呑まれてしまっていて、自分が今どう思っているのか分からなかった。だからとにかく人と話したくて、夜遅くまでフォロワーとスペースで色んなことを話し合ったり、家族とも話したり、久しぶりに会った大学の友達と新宿の喫茶店で始発まで話したりしていた。今考えてみれば多分わたしはずっと、誠実でありたかったんだろうな。まともで、誠実でありたかった。自分の好きを否定されたくなかったし、自分の好きを悪いものだって言われたくなかったし、でも、だからといって問題から目を背けるのは不誠実なように思えて怖かった。ちゃんと目をひらいて、考えないと駄目だって思った。じゅりたちがくれる眩しいステージの光だけで、全部うやむやにするのは嫌だった。じゅりたちもきっと、世界がザワついている裏で沢山のことを考えているはずで、今も色んな理不尽と戦っているんだと信じていたから。そんなアイドルたちに、わたしは誠実でいたかった。「ぼくたちは大丈夫」「みんなを悲しませたくない」「元気でいるよ」そうやって言葉をくれるアイドルたちを見る度に泣きそうになりながら、受け止めなきゃいけない事実と、捨てなくていいはずの気持ちを掻き集めては抱え込んで、日々を過ごしていた。
じゅりは慎重な人だし、不安定な状況で考えを言葉にすることは無いだろうと勝手に思いながら少し経った頃、じゅりが特集されたSTORY12月号の連載記事「超絶男子図鑑」のインタビューを読んだ。そこでじゅりは、自分の今の環境について話していた。
読んで、あぁ、じゅりだなぁ。って思った。ほっとした。じゅりの言葉は、いつだってストンと心に落ち着いてくれる。わたしの心の中に、最初からその言葉がぴったり入る場所があったみたいにはまってくれる。
じゅりだなぁって安心して、好きだなぁって思った。
じゅりの、恩を絶対に忘れないところが好きだ。
自分が恩を感じている人なら、他人からどう思われている人だったとしてもじゅりからの気持ちは変わらない。他人の感情は他人の感情で、自分が感じた恩とは関係の無いこと。揺らがないその姿勢が好き。真っ直ぐ、地に足をつけて立っているところ。身体がどんなに細くても、薄くても、そうやってどんな時も自分の信条を貫くじゅりの姿はすごく綺麗で、ずっと見つめていたいと思う。
じゅりは「外見は内面の1番外側だ」から外見を磨けば心に余裕ができると話しているけれど、わたしはじゅりの折れない1本筋の通った内面があるからこそ、じゅりの姿のその綺麗さは際立って見えているとも思う。
今年の初め、ドームツアーで見たじゅりはテレビで見るよりも雑誌の中で見るよりも、一際綺麗だった。カメラのレンズの前で着飾られたじゅりも綺麗だけれど、やっぱり目の前でステージに立って歌い踊るじゅりの綺麗さには敵わない。
カメラのレンズじゃなくて、わたしたちファンやメンバーをその目に映して笑うじゅり。何を考えているかなんて真には分からなくても、心の中にある大切なものを届けようとしてくれていると分かるじゅりの歌声。桜吹雪や水飛沫の隙間から見える、綺麗に伸ばされたじゅりの背筋や指の先。目眩がするほど眩しいライトに照らされて、ステージセットにうつるじゅりの形をした影。トロッコやリフターの上から、わたしたちひとりひとりが灯すペンライトの海をゆっくりと大事そうに、目を少し細めながら見つめるじゅりの瞳。
じゅりが、わたしたちのために準備してくれた「アイドル田中樹」はどんな会場でも、どんな席から見ても本当に綺麗で、その全部をたからものみたいに思う。
元々人見知りで、人や物への執着が多くある訳でもないじゅりが、ずっと一緒にいたいと思えるメンバーに囲まれて、どんなことがあっても決して諦めずに今の今までアイドルとして、舞台に立つことを選び続けてくれている。オーラスの東京ドームでの音色を聴きながらそんな奇跡に涙が止まらなくなって、ライブのために必死に作ったメイクは全部ぐちゃぐちゃになったけど、そんなの気にしていられないくらいに心が大きく揺れていた。音色を披露する前に、きょもが叫んでくれた「じゃあ最後にこれ歌って!SixTONESとみんな!明日からも生きていこうぜ!」って言葉を未だに噛み締めるくらいに。SixTONESが見せてくれるものや聴かせてくれるものは、心の奥の方の、自分でも探せないような場所を揺さぶってくるような感じがする。きょもだけじゃなくじゅりもそうだけど、というよりSixTONESはみんな、人生には幸せなことばかりじゃないってことを知っていて、そのことを隠さないでいてくれるからなのかな。アイドルとして見る彼らの存在は本当に大きく感じられるし、実際ドームの席からステージの上にいる彼らを見上げている時間は、まるで星のように遠く綺麗に見える時もある。でも、きょもが「明日からも生きていこう」と叫んでくれたその言葉には〝生きていたら大変なことや悲しいことも沢山あって、このライブが終わったら、そんな大変なことや悲しいことがあるかもしれない日常に戻る。でもこの時間を抱き締めて、この会場にいるメンバーもファンも、みんな同じように生きていこう。〟って、そんな風に言ってくれているように感じた。ほんとは全然違うかもしれないし、わたしの盛大な思い違いかもしれないけど、それでもその言葉を受け取って、SixTONESも同じ人間として明日を歩いてくれるんだって、涙が止まらなかったし、勇気を貰った。心の底からSixTONESが好きだって、出来る限りずっとこの6人のことを見つめ続けていたいって。確かにあの日、東京ドームでわたしはそう思ったし、今でもそう思っている。
SixTONESに出会って、そんな風に涙を流すほど6人を好きになることが出来たのは、間違いなくじゅりのおかげ。じゅりがメンバーのことを愛して、大切に思ってくれているからだと思う。じゅりのアイドルとして生きる姿勢が真摯で、賢明で、綺麗だったから。じゅりの言葉が、いつだって心に落ち着いて、歩く方向や見つめる方向を指し示してくれるから。
じゅりのことを好きになって、人を応援する時の姿勢までいつの間にか教わっていた気がする。アイドルオタクとして過ごし始めて少し経った頃、この世で1番だいすきだった、かみさまみたいに思っていた人が結婚と、子供が生まれたことを発表した。じゅりを好きになるずっと前から好きで、好きで、好きで仕方なくて、わたしの高校から大学までの約6年間をずっと捧げてきたバンドマン。高校生の頃から大学生までの時間の中で、そのだいすきって気持ちはどんどん膨れ上がって、制御が効かなくて、その人と結婚したいと思ってたし、でも同時にかみさまみたいに尊くて、ガチ恋のくせに盲信していて、何よりも依存していた相手だった。進学先も就職先も決めた理由にはその人が関わっていたし、人生の全部をあげたかった。わたしの人生がその人のせいでめちゃくちゃなってもよくて、ていうか、めちゃくちゃにされたかった。今考えてもだいぶおかしくなっているし、メンタルはいつもぐちゃぐちゃだった。
そんな人が結婚して、奥さんとの間にいつの間にか子供もできていて、もう人生が終わったと思った。生きる意味を失って、立っていたその場所が崩落していくのが分かった。立っていられない。大人になって社会人として働いているにも関わらず、わたしは自分の部屋で大声でわんわん泣いて、疲れて、お母さんにLINEして、実家に帰った。年末だったから仕事をしなくてよかったのは本当に良かった。あとカウコンを見られたのも本当に良かった。わたしの世界はめちゃくちゃになったけど、瓦礫の隙間から光があることをアイドルたちが教えてくれたから。
それからは、その人がいた心の場所はそのままに、じゅりのことを好きだと思う気持ちを大切にして過ごした。じゅりを好きでいる時間はとても穏やかで、昔みたいに好きだという気持ちに振り回されて落ち込んだりすることが全然無い。
単純に、わたしが大人になっただけかもしれない。前みたいに、所謂「推し」と付き合ったり結婚したいみたいな気持ちもじゅりには湧かない。だからといって好きじゃないなんてことは当たり前になくて、しあわせでいてほしいし、わたしのいない世界で、周りの人に大切にされていて欲しいと思う。不思議な気持ちだ。じゅりを好きでいると、じゅりを好きだと思えていることが誇らしく思えたり、じゅりを好きというだけでもっと世界には色んな見え方とか考え方があるってことが分かって楽しい。そんな好きを大切にできる今が幸せだと思う。
バンドマンの好きな人を何よりも好きでいた時間も、確かに大切だった、あの人のためだけに生きて、自分の時間もお金も、人生だってあの人のためにあった。自分がそう望んでいて、それがわたしの幸せだったから、あの時よりも今がいいとは思わない。あの時のわたしのことも受け入れて、あの人がいたから今のわたしはある。
でも、それはもう過去のことにすることにした。今だってあの人のギターの音が好きだし、あのバンドのことがすきだし、あの人の、思い付いたらすぐに挑戦してみる意外とアウトドアなところとか、甘いものを好きだったり猫を好きな可愛いところとか、笑った顔も、だいすきだけど。あの人を好きだったあの頃のわたしからしたら、今のわたしはあの人のなんでもかんでもを追いかけるには中途半端すぎる。(でも、すきだから、ときどき東京のライブくらいには、行きたい、、。)だから、あの頃を大切にするために、もう過去にすることにした。そうやって新しい道を進むことを教えてくれたのも、じゅりだと思う。
というか、進もうって決める勇気をくれた。
なんとなくだけど、それが今年のドームツアーを経て思ったことだったかもしれない。
ドームで見たパフォーマンスはどれもかっこよくて綺麗で好きだったけれど、特にわたしはHouse of Cardsがだいすきで、じゅりのいる一塁側の座席にいられた時にはじゅりから目を離さなかったし、離せなかった。時には肉眼で、時には双眼鏡から、ゆったりと音に合わせて踊るじゅりを見ながら、去年の事務所のこととか、世界で一番好きだった人の結婚とか、じゅりを好きだって思うこととか、色んなことを考えた。House of Cardsのサビでは、6人の歌声が重なって、それぞれ一塁側と三塁側の花道にわかれて歌うメンバーをライトが照らす。
特に「そう触れたら Easily」「崩れ落ちそうなこの奇跡に」「僕らの日々は Just like a House of Cards」と歌うSixTONESの声がドームを包む時が好きだった。今回のツアーが360°ステージでのライブだったこともあって、中央位置のステージから客席に向かって音が広がって包まれる感覚。歌詞の通り、わたしたちは去年、彼らがステージに立ってくれることやそれを見ていられることは全然当たり前じゃなくて、奇跡みたいなものなんだって痛感した。この現実はほんとうに、触ったら崩れそうなくらいに脆い奇跡。いつまであるかどうか、それも分からない砂上の楼閣。
だからこそ今は目を逸らさずにじゅりを、SixTONESを見つめていようと思ったし、オーラスのきょもの言葉と、音色を聴いて涙が止まらなかった。
他にも、職業を聞かれたじゅりが迷いなく「アイドル」と答えてくれたこととか、Seize the Dayラスサビ前のじゅりパートの話とか、ドームツアーのセトリをこっからで締めるところとか、ツアー中に胸を打たれることは沢山あったんだけど、さすがに長いから書くなら別の記事で書こうと思う。とにかく、ドームツアーは去年ぐるぐると考えていた沢山の気持ちを落ち着かせてくれるものだった。まるで答え合わせをするみたいに。
やっぱり、実際に目の前でアイドルをしているじゅりを見ると沢山のことを思うし沢山のことを考える。アイドルに触れることで、前に進むことが出来る。花道の向こう、メインステージでメンバーに囲まれて笑うじゅりのことを、毎度のことながら星みたいだと思った。
燦然と煌めく青色の星。
青は、わたしの希望の色。
今日、House of Cardsを聴きながら歩くこの街から見上げる空も、雲ひとつない青色をしている。この空を見ていると、明日がすごく楽しみに思える。自分の歩く毎日を好きになれるんだ。
じゅりが、ステージの上からそれを教えてくれたんだよ。
じゅり、29歳のお誕生日おめでとう。
アイドルとして生きていてくれて、わたしの目の前に現れてくれてありがとう。
この、希望に満ちた青色の空の下で、
今日もあなたがどうか幸せでありますように。
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